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      日知り事典      墓石〜盆休み

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★ほせ・・・・・・・

墓石・・・・・・・・・墓に立てた石。先ず由来から言えば普通、死者には墳墓を盛って墓標を立てて終わっていた。た
だ土葬の墳墓は土がやがて平らになるので、平安から鎌倉時代には貴族や名のある人の場合には石に立て替えた
が、普通の石ではなく宝きょう印塔を建てて供養し、或いは犬小屋程度の石祠を置いた。

平安京でも応仁の乱の頃は欣求(ゴング)浄土の観念が手伝い、また庶民の死者が多すぎたので仇アダ紫野や加茂川
(河原)、清水寺の辺りに投げ捨てたが此れは例外的な事であろう。室町時代からは五輪塔(別項参照)が多くなり、江
戸時代頃は修験道の影響で自然石や板碑と言う半面加工品が多くなった。

また江戸末期になると一石五輪塔と言う規格品が一般庶民に普及するようになるが、此れは故人の戒名などは刻んで
なかった。次に墓石の材質については古来、地元で採れる石を選び、或いは加工し易い凝灰岩を使った。建材でも石
材・墓材でも舶来品や高価なものが良いと言うものではない。

其れよりも日本の四季の変化に耐えて地元で育った木や地元で採った石が望ましい。其のほうが運搬も楽であるし外
材では日本の気候風土に合わない。特に冬季に氷結し破壊が早まるからです。

だが今では建材も石材でも外材が主となり、墓石の場合も今は其の90%までが中国産でしかも戒名まで中国で刻
んで完成品として運んで来る。従って二〜三割安いものの新品なのに欠陥があったり、ひび割れが始まるなどでトラブ
ル続出と言う(以下は04/9/23日のテレビ大阪より引用)。

また墓石に刻まれる特有の梵字の意味については「五大」を参照。それに最近、奇妙な流言があるので一言する。墓
参しても墓石に水をかけてはイケナイ、と言う風説です。此の話は先日、民放テレビで細木数子さんが言った。だが其
れまでは問題になる事はなかった。彼女も何か説明不足か言い足りない点があったのだろう。

あの世の人に対して、水を捧げるのが墓参の基本ですから、其れがイケナイとなると古来不変の常識を覆すだけの理
由がなければなりません。しかしそんなものは何もない。特に地震や火災で亡くなられた方には灯火・線香よりも水をお
供えするほうが良い。要はお供えする気持ちです。なのでぶっかけるのは無作法になります。それだけの事です。


★ほそ・・・・・・・

墓相・・・・・・・・・歴史は古いほど価値がある。人間は自然を作れないが、知恵の積み重ねで歴史を残した。此れ
が言わば人類の文化遺産である訳です。其の点で日本は世界一古墳が多い事から分かる通り、世界一古くから歴史
大国でした。所が湿気が多くてしかも酸性土壌であるため猿や人の化石などは見つからない。

其の上に火山国ですから古代の人骨は灰に埋まっていて100m掘っても出て来ない。ただ葬法などは人類が続く限り
極めて保守的に守られて来た文化なので大切に守り伝えられて来た。葬法は土葬、水葬、火葬、風葬などがあり、何
れが正しいと言うものではなくて地域性、つまり風土風習で違う。其の点で太陽信仰の日本では土葬されて来た。

従って土を盛り上げて墳丘としたものはある程度残っている。墳墓の典型として陵墓があるが、この定式が言わば墓
相としても、其の定式がどのようなものであったのかは定かではない。文献になく、また技法としても残っていないので、
此れは言わば秘伝であり、其れを本書が事実から円暦で解き、歳時記で実証している。

何れにせよ、日本の墓地を経緯から大別すれば凡そ四種類あると言える。一つは縄文・弥生時代の墓地であるが、本
論では省略する。次は聖定された陵(古墳)、そして第三は、大化の改新で大きさを規制した薄葬令以後の墓地、そし
て第四は時代的に新しい中世から現在までの墓地と分類出来る。

ただ日本の古くからの一般墓地では儒教・道教・神式と言うのはなくて、其の殆どが仏教的な墓地である。しかし仏教
は宗派が多く、マチマチなので其の墓相の各論も此処では省略して、極く一般論として述べる。世界的な視野で見て
も、葬法と埋葬方式は極めて保守的な民俗性を伝える。

従って今も残る墓地は一つの文化遺産であり、先祖の残したメッセージでもある。其れに対して時代がたって、新しい
世代の子孫が此れを見て「古いとか汚い」と誤解し、或いは場所的な制約とか、もっと新式の流行的な形とか、其の形
の良否に捉われたり、より大きな墓石に作り変えたいと思う事も多い。

だが其れは合理的でも何でもなくて新奇性のものは何の実績もないため避けるべきです。ですから改変は「無用」であ
ると先ず述べておく。別の所に新たに新設する場合は別として、昔から有る墓地は其のまま守る事が第一である。

場所が無いから古い墓地を整理したいと言う寺も多いだろうし、遺族の自由とは言うものの、墓相もまた「古きに従え」
が正解である。其れを改変するのは文化破壊や証拠隠滅行為に等しいので、社会的には何も問われないものの先ず
本人にとって必ず不利益となる。

ですから場所的な余裕のある限り、古い石塔を其のまま残すほうが良い(改暦を参照)と考えたい。
さて現在、「墓相学」と言う言葉はあるが、「東南向き」を勧める以外、此れといった定式はないようである。

無論、墓相学と言う以上は、幾許かの経験則があるのだろうが、勝手な流儀の指導を受けて安心している方も有るか
と思われる。だが墓地や墓石をどんなに立派にやり替えても、墓参しなければ無意味ですから何よりも墓参が前提で
あり、其の為には近くが良いし、更に言えば「墓相」云々で幸福が得られる訳ではない。

目の前の問題から逃げたり、其れを棚上げしたまま、如何に墓相を考えても解決とか幸福にはなりません。其れよりも
本人の考え方が一番大事です。先祖を大事にする心掛けが何よりの墓相である。

墓相に拘るよりも日頃から方位に注意して暮す事、或いは仏壇や神棚とのバランス、或いは昔に習って日々の行いを
続ける事が先祖にとって何よりの供養になります。なので、其れが本人の血を清め、更には因縁を良くし向けるなど、
良い循環に動き出します。

其れをしても尚、問題が深刻である場合は、下記の「墓地・聖地の要件」や「骨」の項目を参照下さい。それにも該当し
ない場合とか問題なく裕福な方は昔の天皇家と同じようにすれば良い。其れは墓地の近くに住む事です。此れは筆者
の独断と偏見ではない。

そうすれば天皇家が模範を垂れている通り、少なくとも2000年間、其の子孫の何よりの教育となり、また広く地域社
会のレベルまで栄えさせるでしょう。其の詳しい事例は「神々の歳時記」で多数列挙している。

★ほた・・・・・・・
▲ホダ木・・・・・・・・・椎茸を出す木、クヌギの木に椎茸菌を打ちつけたもの。

★ホタル・・・・・・・深山よりも水田や集落近くを好む昆虫。野菜のきれっぱしなどをカワニナが食べる。其のカワニナで
ホタルの幼虫が育つ。こうした環境にあれば真夏の夜にホタルの乱舞がある。そうした所は河原があって草や葦が茂
っている。其れに対して川岸をコンクリート護岸で固めた所が多くなった。

譬え水が流れていても、そんな所にホタルを放したって生きられない。草がない所は水温が高くなって昆虫も魚も棲め
ない。農薬を撒くような所は無論無理である。そんな所は何度も地震や台風で洗われなければ自然が戻れない。

★ほち・・・・・・・

墓地・・・・・・・・・死者を埋葬する所。人体は死後魂魄の内の魂が天に帰り、魄が土に戻るとされて来た。魄とは遺体
と遺骨であり、其れが白骨化しやがて水になり土に戻る。墓地は其の為に遺族や村落で維持・運営されて来た。また
墓地には盆正月や彼岸や命日には魂が戻って来る場としても信じられて来た。

そうした節度を守る霊もあれば守らない霊もあるから一概には言えないが、総体として見れば、此の世とあの世との接
点、つまりコンタクトの場です。其のコンタクトの為に葬式や法事をする場でもある。このため、昔は墓地の為に寺が建
てられ、或いは寺に付随して墓地が出来たり、或は元々村落の共同墓地などから現在の墓地になった。

各地に墓地はあるが、江戸時代の墓石が残る所は少なくなり、寂しい感じがします。古い様式を保守的に残して日本
の元文化・風俗・習俗を伝えるのが墓地の役割の一つですから、何でも新品が良いとは限らないのです。

兎も角、墓地の由来からすれば、墓地の値段はあっても無きが如くであったが、今は宅地造成と同じように土地造成
会社が寺院と提携して区画し分譲する。此のためコストに見合う販売価格を設定するのも止むを得ないのだろうが、1
霊地単位で販売する。だが1霊地とは普通の1坪の1/4の面積しかない。

借地権なのに地価相場の4倍以上の高額永代使用料をとっている。だからでしょうか。テノール歌手の秋川雅史さんの
「千の風になって」が07年に大ヒット(ミリオンセラー)となった。



墓地・聖地の要件・・・・・・・・・墓地とは青山であり、聖地であり、聖地、即ち「日知り」の地である。単なる埋葬地
ではなくて暦日と絡めた所、つまり天文と地理とが結び付く事に意味があります。因みに昔から各地に埋蔵金伝説があ
り、其の地は何処かと言う話では決まって「朝日差す夕日たださす」と言う形容詞が付けられた。

そうした小高い所が村の宝であり墓地でした。特に墓地は視界が要件でした。命日とか祭日・暦日・縁日とは方位であ
って元より数字ではない。其の点で今のような数字式のカレンダーを使っていれば霊的な事にも誤解が多くなる。

と言う点からも墓地の要件とすべき所は規模の大小よりも方位を正す視界である。ただ其れは古来、祭主(自宅)から
の方位が第一であり、その軸線上で昔から「朝日射す、夕日輝く」丘の上が選ばれた(「廟」を参照)。霊界は伸縮自在
なので規模の大小が要件にはならない。

広さは単に大化の薄葬令以後の身分制によるランク付けに他ならない(「聖地」を参照)。


★ほつ・・・・・・・

北極振動・・・・・・・気象用語の一つ。無論、造語である。此れまで天気予報が狂うたびエルニーニョとかラニャー
ニャなどの新たな気象用語を作り出して言い訳に使って来た。其れでも説明できないので今回は北極振動と言う現象
で説明しようとしている。特に05年は暖冬とした予報に反して酷寒になったため其の言い訳に使われた。

北極振動とは北極圏に見られる寒気の波を言う。寒気は蓄積と放出を繰り返す。冷気の波が北極圏の上空にうねって
いて、其の吹き出し口が通常は2〜4ヶ所あって動いている。其れが3ヶになると動きが止まってしまう。そうなると2ヶ
月間くらい持続・停滞するので05年末から06/1月末まで厳寒が続くと見ている。

其れは多分当たる。05〜06年は太陽黒点数が最小期にあるからです(違う意味からであるが結果として06/4/末まで
寒さが続いた)。

北極点・・・・・・・北極海の海洋の中、冬は氷原。気温がマイナス40度になるが、3月から雪解けが始まるため氷原が
危険になる。其処へ向けて日本大学の遠征隊が出かけた事が有る。グリーンランド側のヘクラ岬からスタートしてイヌ
イット(エスキモー)の助けを借りてイヌゾリで遠征隊が北上した。

4/6日から太陽との天測を続け、s53/4/28日03:30分に日本人として初めて北極点に到達した(06/4/28読売テレビ
「今日は何の日」より引用)。

北極の気温・・・・・・・約5500万年前は大気中の二酸化炭素濃度が上がり、温暖だった事が知られているが、此の
程、海底掘削により北極の海面温度が23℃もあり、亜熱帯レベルの温かさだったが、約4500万年前から氷に覆われ
始めた事まで分かった(但し堆積物による推定値)。以上、国際共同調査について06/6/9の朝日新聞より。


法華・・・・・・・法の華とは現実(自然界)の花とは別の、見えざる法の花(華)、即ち「法身」がある事を説いたもの。
日本では此の形をヤタと言い、仏教では其の法をダーマ(達磨)と言った。日本ではヤタを元に鏡の紋様に刻み、或い
は八座のクラを組んで神々を祭って来た。

また仏教では法華の形を八弁のハスの花に喩えて軒丸瓦で黙示し、更に法華会では法華曼荼羅で図解講義し、もしく
は八角法華堂を建てて来た。だが「法華」と言えば今では単に日蓮宗か妙法蓮華経の専売的な用語と誤解とされてい
る(「ヤタの原理」、「曼荼羅」、「柱頭」、「円系図」を参照)。

以下、「ヤフー知恵袋」回答日時: 2008/4/5 21:25:18から一部引用の上、付記する----鶯は「法-法華経」と鳴いてい
るように聞こえます。法とはダルマ。法華とは現実の自然界にはない法の華を言います。例えば自然界の蓮は7弁です
が、仏像の蓮華座は8弁です。この違いを無視してはならない。後者を法華と言う。

人も2親から生まれ、その両親にも各々2親がいます。其の先祖にも各々2親がいましたので、其れを仏教は8弁のハス
で説き、日本ではヤタの原理や16弁菊花紋で教えました。人は根も葉もない所からは生まれません。蓮や菊から生ま
れ出た訳ではなくて、完全なる科学としてのダルマの法華・法理を説いたのです。

さて、先祖の死後、あの世から選ばれて人として再生・出生します。従って死後はまた、先祖の一部に戻ります。ただ人
1人には倍数数列で2-4-8-16-32-64・・・と各々幾何級数的な無限の先祖がいます。なので死後は父母と同じ世界に
行くのですが、死亡年月日によっていったんバラバラの道程に入ります。天国や地獄と言う所へ進む場合もあります。

その後は殆どが再び人として生まれ変わりますが、死亡時期によって親子の関係が逆転する事もあります。中には深
山御山のウグイスになるとか、獣や虫に転生のケースもあるようです。生前の思考や行いによって行くべき先が変わる
のです。ともあれ、あの世では別々の道へ進み、有る期間後に、再び巡り合う事もあるでしょう。

其れは例えば現在、結婚を縁談と言うように個々マチマチな過程で縁によって再び先祖同士が繋がるようにあの世で
の場合も再構築されるようです。人は根も葉もない所からは生まれません。あの世と此の世の縁によって生老病死と
愛別離苦のプロセスが用意されているようですね(以上引用)。

人は根も葉もない所から偶然に生まれて進化論的に生きてきたのではなくて、法華・法相の因果によって生死を繰り返
します。此れは人のみならず万物の普遍の理です。なので法華の教えとしては肉体のみ大切にするのではなく、悪因
悪果にならないように善行に努めることが大切と言う結論になる(「菊花」及び事項も参照)。

●法華も方位・・・・・・・自然界の植物は凡そ三方に伸びる。或いは非対称の形に成長する。よって四弁とか八弁の8枚
の花弁を付ける例は少ない。其の点で蓮は八弁、菊花紋は16弁と決まっている。ですから八弁のハスとか16弁の菊と
言うのは自然のものではないと分かる。

では何故そうしたのかと言えば、各々円の等分八方で8〜16方位を示した訳です。つまり此れが上の法華である。
1−2−4−8−16−32の等分方位は自分を中心として1(定点)−2(父母)−4(祖父母)−8(曽祖)−16(高祖)−
32(五世祖)−64(六世祖・DNA)・・・・の数理、つまり先祖の設計図・方位を黙示したもの(「円系図」を参照)。

ボット・・・・・・・ボット・ネットワークと言う不正アクセス。

北方領土・・・・・・物のやり取りには縦取りと横取りとがある。前者には正当性があり、後者を不当・不正と見た。
例えばソ連は日本の敗戦間際に日ソ不可侵条約を一方的に破棄して南樺太以南を乗っ取った。此れが「横取り」だっ
た事は、世界中が認める事である。

しかしその後もゴネて日本からしぼり取る事しかせず、返還しないのでソ連は崩壊した。今のようなロシアになってもま
だ分からなければ、ロシアが人口激減で極東から国民が離れて広大な領土も無価値となろうし、ロシアも解体自滅する
だろう。

05年にプーチン大統領が来日する予定である。此れに対してまたも外務省の「お願いの連発」で返還されるのかと言
えば、前からそうだった様に矢張り何も変わらない。外務省もロシアも、此れを餌に何時までも日本(国民)からシャブリ
取る事しか考えないからです。

「外務官僚は無能でコスト高」と知っているのが日本人の常識であり、また、「ロシアはずる賢い熊」と言うのが世界の
定評である。今の外務省にも日本人にもロシアを潰す力も気力も無い以上、チェチェン(別項を参照)と同様、これから
は樺太でも内戦を起こしてロシアから独立する以外は北方領土が日本に戻る気配はない。

高額税金を取るだけで何も進展出来ない政府に業を煮やした多くの旧島民と其れを支援する人々が返還を求めて努
力している中で別の動きもある。例えば「北方領土返還50周年記念の本を出したから6万円で買え」と法外な値段で
当会にも05/2/21、見ず知らずの渡辺マサノリと名乗る男から暴力的に強要して来た。

其れをキッパリ断ったら、「馬鹿やろう」と電話を切られた。無論偽名で、単に「北方領土」の名を騙った新種の「振り込
め詐欺」であろうが、そうではない場合であっても、こうした脅迫まがいの行為は日本国民にではなくて是非、政府やロ
シアに向けて叩きつけて貰いたい。

ホツマツタヘ・・・・・・・国常立尊の教えを豊受大神が書き残し、三輪の大田田根子が書き加えた日本最古の古典。
漢字ではなくヲシデと言う神代文字で書かれている(「ニセ書」を参照)。此れを偽書と言う説があるが其れは誤解であ
る。此のホツマ文字をヲシデと言うが、単なる表音文字でも表意文字でもなくて天文観測文字である。

例えばアウワの文字はア(天)ワ(地)とウ(自分)を意味する。また五方(東西中南北)をキツヲサネと言い、八方をトホ
カミエヒタメのヲシデで示した。単なる神代文字ではなくて古代の哲理と時空つまり天文観測の実態をリアルに図示して
明かしている。其の好例がホツマのフトマニ図である。

ホツマツタヱ 秀真伝・・・・・・・ ホツマ伝の紹介。以下http://www.k3.dion.ne.jp/~yamas/kodaiy2k/hotumika/
hotutowa.htmから転載。ホツマ伝(ホツマツタヱ)は全体が五七調長歌の十一万字余りのホツマ文字で書かれた大物
主家所伝の超古代文書です。全体の構成は大きく4つの巻に分かれています。

序の巻(概要;第1−第6紋)、天の巻(宇宙開闢から天照朝前期まで;序章−第16章)、地の巻(天照朝後期からウガヤ
朝まで;第17章−第28章)、人の巻(神武朝−景行朝まで;第29章−第40章)。日本の国の始まりから第12代景行
天皇の時までの出来事が書かれています。景行天皇の時代(推定320年頃)に成立しました。

また同時期に著わされたミカサフミ、フトマニが知られています。ホツマ伝の著者は、序の巻、天の巻、地の巻が大物
主クシミカタマの命(神武朝の右大臣、神武皇后ヒメタタライスズ姫の兄)で、人の巻がオオタタネコの命(クシミカタマの
命の子孫、大三輪神社初代神主)です。

ホツマ伝の大きな特徴は、古代ヤマト言葉による精神文明的な記述が豊富で高度な宇宙観にもとづく道徳観など儒教
や道教以前の日本に固有な伝承が多く書かれています。ホツマの意味は、すぐれている本物、アズマ(東国すなわち東
北から関東地方)の2つがあるようです。「ホツマぶり」というのもあってこれはルンルン気分のことでしょうか。

 歴史書としての特徴は日本書紀の主要な原典と目され、記紀が南方的色彩が感じられるのに対して全国的です。天
照大神が男であることも特徴です。神武天皇からは人の巻になっており記紀よりもはるかに多くの史実を伝えていま
す。全体的に内容豊富ですが難解な部分も多くたやすく理解できるものではありません。伝来の経緯は次のようです。

道鏡がわが国固有の古書などを焼却した事件にからんでオオタタネコ命の子孫の大加茂臣赤阪彦が自害しました。そ
の子の和仁估世々彦が上古代より伝わる秘録を持って琵琶湖北辺の菅浦に隠遁蟄居しました。以後、井保家から小
笠原家と伝わり明治時代に至りました。

この段階までに代々研究が重ねられ漢字訳が付加されたのでこれが最近の研究に大いに役立っています。明治7年
ホツマ伝は政府にも奉呈されました。昭和41年に松本善之助氏が東京神田の古本店街でホツマ伝を偶然に発見、研
究に没頭しホツマ伝が世の中に知られることになりました。又いくつかの伝来本が判明し研究者が増えました。

研究者の池田満氏がホツマ伝、日本書紀、古事記の三書の用紙700枚に達する比較(三書比較)を行いホツマ伝が偽
書ではなくまことの日本の古典であることを確認しました。
参考文献:

(1) 全訳秀真伝(吾郷清彦訳・解、新国民社、S55.2.11発行)
(2) ホツマ神々の物語(池田満著、長征社)
(3) 神々の謎(鳥居礼著、日本文芸社)
(4) 松本善之助氏の著書で入門に最適の本があります。ホツマツタヘ(毎日新聞社)
(5) 謎の秀真伝(佐治芳彦著、徳間書店)
(6) ホツマ辞典(池田満著、展望社)
(7) 改定ほつまつたゑ(鏑邦夫編著、渓声社)
(8) 『ホツマツタヱ』がわかる本−梗概と解説−(鏑邦夫編著、渓声社)

(1)は私が歴史研究する上での主要参考文献です。ホツマ文字は仮名に替えられ、句ごとの漢字まじり訳がついていま
す。解説によって多くの関連知識を得ることができます。

(3)には偽書説に対する鋭い反論があります。また四国の金刀比羅宮がホツマ伝のアワ宮であることが記されています
(以上引用)。

★ポテンシャル・・・・・・・潜在能力の事。そのためには先の「円系図」により先祖を明かして自分の素性、つまりアイデ
ンティティーを認識する事が大切であり、其れを無視した従来のモノカネ式、知識詰め込み教育では無理である。

★ほと・・・・・・・

・・・・・・・神道は魂を結び付け、其れによって人を生み、或いは人の暮らしに必要な作物を産み育てる役割があ
る。よって産土神とも言う。「結び」とは天文・地理に人を結び付ける事でもあった。この場合は自分を中心として四方を
結ぶ事であり、其処から方位と四季の暦を知れば、五行を理解できるし四祖を祭る事が出来た。

其のシンボルが「+」の字であり、其処から田や囲の字にも変化した。つまり結ぶとはクロスであり、その祭りが例えば
Xmasであり、それをするのがクリスチャンであり、彼らは今でもロザリオを信仰のシンボルとして首に掛けるが、ロザリ
オは十字架である。ケルトもまた十字架をシンボルとした。

所が、仏教は折角神が結んだ十字の先を折って万字、つまり卍とした。此れは「結び」をホドいて、動く形にして変化を
説いた事になる。形の違いを見比べて誰にも分りやすく説こうとした教えであり、実際、人の死後には肉体から魂が解
脱するのでホドケ(解け)と言う。また難解な経文でも平易に説教する。

つまりこの世の事よりあの世の事を分かり易く解く役割でした。そうした観念を日本では纏めて「ホドケ」と言った(「結
び」を参照)。

時鳥(ホトトギス)・・・・・・・ホトトギスは時鳥と書くが、時を告げるのは鶏のほうであってホトトギスの声は当てになら
ない。だからホトトギスは不如帰・杜鵑とも書く。外にも和歌には色んな名で詠まれた。霍公鳥・子規・杜宇・沓手鳥・郭
公・・・・など。

五月頃に森でホット、トギスと鳴くのだが、聞く人によってはテッペンカケタカ、キョキョキョとも聞こえるらしい。また06/7/
23のラジオ深夜便によれば、岩手の遠野姉妹の民話のある所では「弟腹切った」「弟恋し」「包丁かけた」とも聞こえる
と言う。何れにせよホトトギスは自分で巣を作らずに鶯などの巣に卵を産み落とす。

言わば保育所頼り、育児放棄のコトリ人生だ。しかも人は、「アノ声で、トカゲ食うかや時鳥」とも詠んだとか。美声は辛
い、とほほ・・・


▲ほな・・・・・・・・・
▲ほに・・・・・・・・・

・・・・・・・・・人骨。人骨以外にも骨には獣骨・鯨骨など色々有るが、此処では遺骨の問題のみを言う。人は魂魄
のバランスで生かされ、其れが崩壊・分離した時を死去と言う。魂魄の内の魂は空に向かい、他方の魄は骨に残る。こ
の始末がどうなっているかで遺族の生活に問題が発生する。

昔は骨の上に土を被せて其の上に墓標を立てた。其れが一番良いとして1万年以上続けられて来た。見えるモノ(墓石
や財産など)より見えない地下の問題が一番大切であって、その上物(墓石など)に大理石や御影石のどれを選んだら
良いのかとか規模の大小などは余り問題ではない。

譬え立派な墓石があっても、其の下に、実際誰の骨がどうなっているかを知るべき立場と責任が子孫の、特に大人の
先ず第一に知るべき点である。何も問題がなければ何も言う事はないが、もし深刻な問題を抱えて打開できない場合
は、科学や学問や占いや新興宗教に嵌る前に足元の「先祖の骨がどうなっているか」を確認する事です。

災福の原因が科学では分からなくても、墓地や先祖の系譜を知るだけで、逆に解き明かす事が出来る筈です。日本は
元々土葬して故人を土に戻して来ました。最初は骨であっても酸性土壌と湿気でやがて水になり土に溶けてなくなるも
のですが、それが今は仏教的・制度的に火葬主義となっています。

なので、散骨とか外にも色んな流儀が流行化して問題を残しています。此れは、宗教家も信徒も一般常識も、総てモノ
カネ主義や自由主義と言った狭い観念に嵌って「そうだそうだ」として来た結果として、当然招いた事ですが、並の人間
の常識で処理すればあの世に行って後悔する。後悔するからやがて子孫に現象となって訴えて来るのです。

特に火葬や水葬は黄泉の国の星月を神とする一神教や多神教(仏教など)の風習ですから日本では良く有りません。
在来の新興宗教団体も多くは一神教ですから独善的であるのは止むを得ないとしても、信者が死後は会費を払いませ
んから骨の事になれば無責任なので困ります。

困る点は例えば信者にするため旧来の檀家から外す。或いは仏壇も位牌も神棚も捨てさせる。そうして一度信者にな
ったら勝手な教理を刷り込むだけで真剣に指導しない。いや元々霊界の事に無知だから問題に対処出来ない。

特に信者が何かの都合で其の団体をやめた場合はもう元の寺と墓地には戻れないケースが多いので、結局他の所を
頼る外ない。或いは他の仲間を求めてまた別の宗教団体や葬法に頼るか、或いは無宗教者がする所に戻って行く。其
れが例えば「練り仏」などと称して、霊的に無知な坊主が遺骨を他者と混ぜる寺である。

此の場合が一番多大なトラブルメーカーとなっている。マンション式も問題ですから早く出して土に返して上げて下さい
「アナナイの罪」を参照)。


▲ほは・・・・・・・・・
▲ほひ・・・・・・・・・
▲ほふ・・・・・・・・・

▲ほへ・・・・・・・・・
▲ほほ・・・・・・・・・
▲ほま・・・・・・・・・

▲ほみ・・・・・・・・・

▲ホーミー・・・・・・・・・モンゴル民唱歌。


▲ほむ・・・・・・・・・

ホームレス・・・・・・・・家のない人。無宿者。家があっても色んな事情で帰宅出来ずに公園で暮す人。無職無住の
人。生活困窮者で乞食と同様の人。公園で暮すのは自由であるが、汚く見えるので嫌われ、特に青少年たちが石を投
げて苛める。弱い者を助けるのではなくて苛めるのですから言語道断です。

彼らばかりではなくてお役所が範を垂れる。少数のホームレスを公園から追い出すために大阪市は06年1月末に10
00人の職員を動員した。2つの暴力団には港区の土地を20年間も只で貸して置いて、ホームレスだけ追い立てるの
が公正で平等を言うお役所業務とでも思っているのだろうか。

そんな彼らが教育したから今の青少年たちが弱いものに石を投げるようになったのだろう。大阪市は職員の巨額ヤミ
給与が発覚した責任も取らない内の、06/5/10には同和の飛鳥会に不正な巨額助成をしていた事が発覚して小西理
事長が逮捕された。大阪市の恥部が次々露呈しているのは、きっとホームレスを苛めた天罰だろう。


▲ほめ・・・・・・・・・
▲ほも・・・・・・・・・

▲ホモ・・・・・・・・・ラテン語homoで「人間」。

ホモ・サピエンス・・・・・・・・・知恵のあるもの。ネアンデルタール人と区別して作った分類。猿から進化してネアンデ
ルタール人とホモサピエンスに分かれたとする仮説が進化論である。だがサルとホモサピエンスとのDNAの違いは1.
2%である。此の1%で両者の違いの全てを解釈しようとしても無理があろう。

同じような肉体は同じような遺伝子である。チンパンジーと人類(ホモサピエンス)との違いは殆ど無い。此の事実から
遺伝子で全てが分かると思った生命科学や進化論が壁に当った。肉体より先に先祖や心性が分からなければならな
い(因果律、八卦、「人」を参照)。物を細かく分解しても矢張り物でしかない。

何処まで分解しても人間は出て来ないのである。

▲ほや・・・・・・・・・

▲ほゆ・・・・・・・・・
▲ほよ・・・・・・・・・
▲ほら・・・・・・・・・
▲ほり・・・・・・・・・


★ポリス国家・・・・・・・(「夜警国家」を参照)。

ホルモン・・・・・・・汗や涙などの外分泌腺とは別の、内分泌腺の一つであるため目には見えないが人には凡そ50
種類のホルモンが働いていると言われる。ホルモンは脳・甲状腺・内臓等から微量ながら出ていて他の部分に伝達し
て刺激を与える事で、成長促進や調節機能を促進させる役割がある。

そしてその結果が次の原因となって再び循環して行く。此れもフィードバック・システムと言う。間脳の調節機能によって
自律神経とホルモンとが相互的・補完的に働いていると見られる。

▲ほれ・・・・・・・・・

ホロコースト・・・・・・・大量虐殺。大陸では古来古代文明が幾つも壊滅した。それは疫病の蔓延や洪水などの自
然災害で滅びたのではなくて人類が民族抗争によって敵対する民族を皆殺しにしたからである。

例えば第二次大戦の時のヒトラーはユダヤ人を400万人も大量虐殺したと言われるが、此れは敵対したと言うよりは
ユダヤ人に対するイデオロギー(異教性)による差別と偏見で粛清したものである。しかしドイツの場合、ヒトラー1人に
罪を着せてドイツ国民は其の責任から逃げたとも云える。

さて戦中の昭和15年、日本の領事館が撤収する所だったが、館員だった杉原千畝はある朝、領事館を取り囲む大勢
のユダヤ人を発見。結果として彼は略1ヶ月間かかって2000人にビザを発給し、其の家族を含めると6000人のユダ
ヤ人の命を救った事になる。

だが、此れはドイツを裏切る行為であり、家族を危険に晒すのみならず日本の国の命令に逆らって発給した事になる。
杉原は汽車が発車するまで其の車内でも発給し続けた。彼らは「私たちは貴方を忘れません」と叫んだ。杉原は其の
後もこの行為を咎められる事なく、その後もチェコやルーマニアで外交官を続けて終戦を迎えた。

そして戦後、当時脱出できたユダヤ人の訪問を受けた。現地には今も当時のまま其の領事館が記念館として残されて
いる(NHK教育TV、04/12/3より一部引用)。何れにせよ死を免れたユダヤ人はイスラエルを建国した。だが彼ら
を助けた日本人はユダヤの手によって米国から原爆をお見舞いされて何十万人も殺された。

爆心地では死体さえ残らず、影しか残らなかった(一部は毎日新聞05/6/25、御厨貴一氏の論説から引用)。
他方、近年になって89年に英国の歴史家がホロコースト否定発言をした為、ウイーン州裁で禁固3年を言い渡された。
オーストリアではホロコーストを否定する言論を法律で禁じている。何と不思議な話ではないか。

此れに勇気をもって「アウシュビッツにガス室はなかった」と講演した歴史家が英国のデビッド・アービング氏だった。
またイランのアフマディネジャド大統領もホロコーストを否定した(06/2/21の朝日記事より引用)。ユダヤが宣伝するア
ウシュビッツは実は戦後に「建てられた」ものらしい。


ボロブドゥール・・・・・・・・・ジャワ島中部にある仏跡。8-9cに造られ、砂岩の石材を密着させて築いた高さ30m、周
囲30kmに達する9層の大曼荼羅。永く地中に埋没し、1814年に発見された(コンサイス外来語辞典より引用)。暦を編
んだ遺跡と思われるが、07/1/20日のMBSTVの「世界不思議発見」では奈良市の頭塔と共通性があると言う。

以下引用する。シナからインドへ三蔵法師とは別に義浄と言う僧が海のルートで旅した。其の途中、スマトラで10年ほ
ど滞在した。其処には既に階段式の方墳(ピラミッド)が造って有ったと言う。其の頂上から石の菩薩像が見つかってい
る。義浄はパレンバンにいたようだが、此処にも来ていたと推定されている。

義浄は華厳経を書写しているが、東大寺も華厳経が伝わる。東大寺2代目別当が実忠であるが、彼は天竺出身者と言
われる。だから東大寺の傍にボロブドゥールと同じ様式の頭塔(ズトウ)を造った可能性があると言うのである。また岡
山には熊山が有り、東大寺と繋がりがある。熊山では東大寺の瓦を焼いた。

熊山にも奈良時代に造られた階段式ピラミッドが30基あって、矢張り四方に窓があり、其れを龕(ガン)と言う。仏像を
納めた所である。またリンガと言うヒンズー教のシンボルも残っていた。また奈良市の法華寺には「からふろ」と言うサ
ウナ式の風呂場が奈良時代からの物として今も使える状態で残されている。


▲ほわ・・・・・・・・・
▲ほを・・・・・・・・・

・・・・・・・・人々が一口で「盆・正月」と言うように盆と正月は似たような行事です。ただ両者が1年の夏と冬と言う対
極に行われる。お正月は神社に初詣しますが、お盆には寺僧が来たり家族で墓参をします。なので正月は神道、盆は
仏教色が強いので、此の風習を続ける日本人がまるで宗教的には無節操のように見られています。

日本では神道系や仏教各派の人は無論の事、喩えキリスト教の家でもその他の新興宗教の信者であってもこうした盆
正月には休みを取って同じような事をします。なので此の行事や風習が多神教とかアニミズムと言われても反論できな
い。だが此れは仏教渡来以前から続く伝統ある日本の宗教であり、年中行事の基本をなす風習でした。

仏教式になってから正月は今の2/15日の満月の頃にお正月を迎えました。其の逆に、今の8/15の満月の頃にお盆を
するようになりました。つまり1年の対極に満月を迎えて氏神や先祖に感謝して来ました。

其れ以前は太陽の節目である冬至に火祭りをして新年の歳の神を迎えて祭り、其の逆の夏至には梅雨の中で水によ
って清め祓いをしたり太陽の下で沐浴(水浴び)をして来たものと思われます。夏のこうした節会の名残が旧5月の端午
の節句や6月末の夏越しの祓い、或は旧6/25(新7/25)の天神祭り、桃の節句の雛流しや七夕流しとして残った。

日本人はこのように宗教としてより寧ろ四季を分ける祭りや節会を通じて暦法の厳格さを伝えていたように思われま
す。尚、今のお盆についてはセガキ(施餓鬼)供養を参照。或は下記の「盆踊り」「盆供養」「盆花」「盆休み」、または歳
時記の7/15や8/15を参照。

盆踊り・・・・・・・・櫓を立てて、其の周りを幾重にも輪になって多数が踊る。其の由来は先祖の霊をお盆に迎えて慰
めようとしたもの。此の時期の物として徳島の阿波踊りなど各地にあるが、小原・風の盆や千葉の白浜音頭が何とも言
えない優雅な調べの盆踊りです。或いは五所川原市のジョンガラ踊りが有名(踊りを参照)。

近年はエアロビクスなどが日本女性に人気だが、体力の練成なら兎も角、踊りやダンスと言うならばドタンバタンと言う
あれは何も感心できない。本来の踊りはオイッチニ、サンシ・・・・とロボット式・機械的に体を動かすよりも気の流れを
大切にする。その意味ではヨガや気功(太極拳と言う武道を含む)が良いし、其れよりも日舞か盆踊りが良い。


盆供養・・・・・・・・盆は梵語で盂蘭盆会またはウランバナと言い、その意味は倒懸、即ち逆さ吊りを意味した。先祖
たちが地獄で苦しんでいるので、地獄の釜のフタが開く此の日だけは許されるので迎えて供養せよとお釈迦様が教え
たと言われる。因みに閻魔様の縁日が旧1/15と7/15日である。

このため盆棚を設え、また見えない精霊(餓鬼・無縁の亡者)のために庭の隅にも棚を作って施餓鬼供養をした。此れ
は7月または8月の13日に近くの山へ盆花採りに行く。但し新仏の場合は7日に行って高灯籠を立てて別の盆棚(新盆)
を設える。高灯籠は木を十字に組んで家の軒より高く掲げた。

新ホトケが迷わず空から飛んで帰って来られるように目印とするためでした。盆迎えは特定の山、或はお寺や墓参で
先祖を迎える。辻迎えをする所や門口でする所も多い。迎える時には必ず迎え火を焚く。先祖の為に玄関に足洗いの
水を出して置く。

盆・正月は年に二度の先祖の御魂祭りであり、其処に供えるのが御魂飯と言われた。握り飯を12ヶ作り、閏年には13ヶ
握って供えるのをオミダマとし、一本箸を突き刺した。オミダマの割れ具合により天気や作占いをしたり年玉と言って分
配した。此れは神人共食の名残と見られる。

其れに対して盆の最後の7月または8月の15日の夕方か16日(20日過ぎの所もある)には精霊流しをする。門口まで送
るか家か墓地で送り火を焚く。盆棚に備えた団子や野菜のナスやキュウリをサトイモの葉に包んで置いて来る。迎える
時には早く来るように茄子に四足を付けて馬とし、送る時にはキュウリに足を付けてゆっくり戻るように牛の形にした。

こうして辻に納めるか川や海に流した。麦ワラや竹で作った船で流す場合を盆船(送り船)と言った。先祖の霊を浄土
に送ろうと言うので極楽丸(西方丸)とも言って華やかに送り出す所もあったが、今は伝統文化とか環境とか言う役場
が煩いので全て駄目にした。京都の大文字送り火などは残ったが、此れは寧ろ観光行事として残ったに過ぎない。

つまり例外である。其れに付随して人形を村境にまで送る風習もあった(以上の大部分を東京堂の「民間信仰辞典」よ
り引用)。ともあれ御魂たちは其の地区の風習に基づいて戻って来る。8/15日の月遅れの盆の頃は終戦記念日であ
り、大東亜戦争で南方で散った多くの兵隊さんたちが台風のエネルギーに乗って帰省して来ると考えても良い。

彼らが手土産として先ずは「夏枯れの田圃に雨を降らせてやろう」として雨台風としてやって来るとすれば、台風が来る
のを楽しみに迎えた方が良い。しかし多くは気象庁の大げさな予報に扇動されて身構えたり対抗策として防災行動をと
ってしまう。神仏を信じないこうした心構えは実際、無意味な徒労になる。


本祭・・・・・日祭(大祭)は方位に基いて暦を決めて日の出の朝から昼までに本祭りを行う。其の外に祭りが夕方まで
あるものの、其れは「後の祭り」のアトラクションに過ぎない。また従来から最も多いのは「月並み祭り」や星次祭と言わ
れる黄泉の祭りであり、これらは夕方から深夜にかけて本祭(ヤミ祭り)をしたものである。

この場合、如何に「大祭」と言おうとも、また昼間に行おうとも月や星の祭りやアトラクションである。そして今は商店街
や企業や行政機関にまで「祭り」の言葉を濫用しているが、祭りの主神不在、方位なし、期間はダラダラの人寄せイベ
ントでは「祭り」の名を借りた「偽祭り」に過ぎない(「星祭り」を参照)。

本地垂迹説・・・・・・・通説を廃して異説だけ述べる。先祖が墳墓に葬られる場合に関係者によって弔いがなされて、
その後に、其処には菩提寺が建てられた。そして命日の半年後に日迎えの祭りを逆方位で行った。後者の場が明神
(神社)となった。すると其処にはやがて先祖霊が再臨出来る。

其の具体的方式については「神々の歳時記」で例証するが、この場合、墳墓の地が「本地」であり、其の逆方位の場に
神として再臨(権現)する事を 「垂迹」と言う。垂迹する場を 影向と言い、其の神を荒神(新玉)、または権現とも言う。

▲◆★


本草・・・・・・・「ほんぞう」と読む。日本には古事記があって色々記録されているが、先ず医学の件に関しては大国
主命と因幡の白兎の話があり、またシナでは少彦名命の子孫がシナへ行って神農として信仰され、或いは彼を祭る大
神(おおみわ)神社では今も4/18に花鎮祭がある。

近くの藤原京からは多数の木簡が出土しているが、薬物木簡が多い。此れは全国から奈良(飛鳥)に薬種が特産品と
して集められた事を物語っている。また其の木簡には持統天皇時代の施薬方まで書いてあった。

次に713(元明天皇)年代には勅によって733年に出雲国風土記が提出されたが、其れには43種の薬草が記録され
ていて、今も漢方薬として使われている。天平時代には今の厚生労働省に当たる典薬寮が置かれた。特に正倉院に
は今も沈香・蘭麝体(ランジャタイ)など多量の香木・薬物が保存されている。

此れは東大寺の建立時に活躍した鑑真和上が関わった。薬物は僧侶など知識人が関わった。光明皇后の施薬院など
は此れによって成り立ったのである(05/11/17のNHKラジオ深夜便「鳥越やすよし」氏の談話より一部引用)。

文献では上記の通り、飛鳥時代の処方箋を記した木簡、そして平城天皇の勅命で医薬処方集「大同類聚方」がある
外、最古の本草辞典「本草和名」など、日本には多くの古典籍があるが、林羅山の「本草綱目」によって発展をした。
また文武天皇時代の役行者の陀羅尼助や後醍醐天皇時代の三光丸が伝わり、今も奈良で市販されている。

他方、加賀立山の薬や伊吹のモグサ等が修験者や近江商人によって全国に広まり、大阪市の道修町が薬種問屋の
町として有名になった。此処には神農さんが祭られている(「薬物信仰」を参照)。


▲煩悩・・・・・・・煩悩とは「心と体がギクシャクしている時に起こる」とは06/8/18のNHK総合TV「英語でしゃべらナイト」
で禅僧の言葉でした。次もまた引用で恐縮だが・・・除夜の鐘について。

年末に欠かせないのが、除夜の鐘です。夜通し起きて「夜を除く」という事で、除夜というのだとか。人間にある108つ
の煩悩の数だけ打ち鳴らし、それを払うものですが、何故、煩悩の数は108と言われているのでしょう。人間の感覚を
司る六根には、「眼・耳・鼻・舌・身・意」があります。この感覚に執着が生じ、煩悩となるのです。

そのそれぞれに、不同という「好・悪・平(何も感じない)」の3つの感情があり、6×3=18になります。さらに、「浄(き
れい)染(きたない)」で18×2=36。その上、「現在・過去・未来」の三つがかかって、36×3=108となるそうです。
計算もさる事ながら、人間って、随分ややこしいものですね。

別の一説には、これは煩悩の数ではなく、一年の12ヶ月に24節気と72候を足し、12+24+72=108といういわれ
もあります。また、何でも「四苦八苦」から来ていて、4X9=36、8X9=72、→36+72=108であるとか(以上は、
「作務衣の専門館 伝統芸術を着る会」http://www.samue-e.com/ より転載)。因みに別項の「周期律」も参照。

▲盆花・・・・・・・各地で異なるがオミナエシ、桔梗、ミソハギ、萩、山百合など1種類または数種類を盆花・精霊花・ホト
ケ草・盆ぐの花などと呼んだ。盆花は大正月の門松や小正月の若木迎えに対応する物で、古くは山から迎える祖霊の
依り代と考えられていたのではないか。

盆が終わればマコモなどと一緒に水辺や道の辻に納める(東京堂の民間信仰辞典より引用)。

▲盆休み・・・・・・・昔から奉公人は盆正月には休みを貰った。大工は盆の月には仕事をしなくなり、漁師も漁を休ん
だ。特に漁師は殺生をする仕事ですから特に盆の15日には漁に出なかった。東京浦安の言い伝えでは、もしこの日
に出れば海が騒いでロクな事はなかったと言う。

目の前に大船が出没したり海坊主が出るのを目にして腰を抜かしたのである。このため最低13日から休み、16日か
ら海に出た。また関西では昔から「盆月には休む」と言う。大工の夏休みである。お盆の頃は暑くて仕事が捗らないか
らかと言えば其れだけではない。神の祭り事に由来する土木建築にとって「盆月は凶」と見るからである。





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