http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page344.html


    日知り事典       方式〜星の

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

法事・・・・・年忌を参照。

方式・・・・・一定の形式、及び手続きであるが、此処では行政的な書面作成の事ではなくて天文・地理との整合性を
問う「方」による指示法を述べる。数字は抽象的な概念なので流動する。よって混乱の元となるのに対して、方位は不
動である。其処から時空の決定について日本では古来、太陽の方位による方式とした(「式」を参照)。

特に特定の命日や祭日は改暦によって変わってしまうので方式で残したものが古墳と寺社の配置、そして祭礼でした。
時代により変化する暦法や文字や数字ではなくて、不動の方位で記すために例えば祭り事としては不動の山・墳墓を
築いて連結し、特定の日を方位で残して来た。

例祭の祭式は礼儀や儀礼であり、此れは一定の時期に一定の方位に向って事を進める事であり、此れが方式でし
た。つまり方式とは非数字で暦日を示した方程式とも言える。例えば命日や祭日を不動の方位で示すために、其処に
動かし難い小山を築いて墳墓とした。

其の上で天体との関係を方位で印し、其の方位に寺社を同軸上に並べたのです。或いは、墓地の移転や分骨・改葬、
神の勧請、神仏の遷座・動座、宮の遷宮もこの方式に則って行った。しかも更に年二回、其処で例祭を行って子々
孫々へ伝統として引渡し、次の世代に引き継いで人々の記憶に焼き付けたのです。

其れが数式の暦法ではなく、不動の方位で残す暦法による文化であり祭礼の方式でした。そうでなければ折角の方式
も単なる手続きとか形式主義となってしまう。京城の設計や寺院の伽藍の配置、其れに鳥居の移動や葬儀は無論の
事、他の冠婚葬祭も此の暦・方位に従って行った。

所が今は暦・方位を知る者がないため伝統的な方式を無視して、神ではない人が主となって数式に従う祭り事を当たり
前と誤解し、利益と予算を第一とする形式主義とゼニカネ主義のセレモニーだけとしてしまった。このため、当然ながら
神仏の加護も期待出来ない無方式の所としている。

放射能・・・・・・・・自然放射能は日本では東日本よりも西日本の方に多いが、自然界の放射能には危険性がな
い。ウランなど放射性物質から出ているものは被爆すれば危険であるが、ウランやプルトニウムからだけではなくて身
の回りにある御影石(花崗岩)からも0.064μSv(マイクロシーベルト)くらいは出ている。

だが自然界のものは無害である。放射能にはアルファ、ベータ、ガンマー、中性子線、陽子線と言う5種類があって、
各々性質が違う。アルファ線はヘリウム原子核でイオン化が強いため、太くて短い軌跡を見せるがスピンして直ぐにエ
ネルギーを失う。ベータ線は、イオン化が弱いために細く長い。ガンマー線は電磁波の一種で直線的に進む。

其れが各々の透過性に強弱となっていて、アルファ線は白紙一枚で止まってしまうのに対して、ベータ線は厚さ5mm
の金属板でやっと止まる。そしてガンマー線は厚さ50mmの鉛でやっと止まる。こうした強い放射能も距離と時間で減
衰する。距離については例えば、4m離れれば1/16に減衰する。

つまり距離の二乗に反比例して減衰するので「μSv/h」と書いて放射能当量を示す。次に時間による減衰を「半減
期」で表している。アルファ崩壊はアルファ線を出してヘリウムが変質し、ベータ崩壊では電子線を出すので陽子が残っ
て変質する。この時にガンマー線を出す。

こうして時間の経過と共に其の半分が崩壊して半分残ると言う過程を繰り返して徐々に全崩壊となる。つまり半減期の
2倍の期間で全崩壊になるのではなくて、中々崩壊しない点が問題である。また放射能の利用としては★癌治療、★非
破壊検査、★文化財の検査、★ガンマー線写真がある。文化財調査で活躍するのが炭素C14測定法である。

C12は自然界の光合成によって出来る生きた炭素ですが、一度伐られた木はC14となり、この半減期が凡そ5700
年である事から年代測定に使われる。またガンマー線写真は中性子線によって時計の内部など、外部から見えない所
を透視するのに使われる。最後に、被爆については強く浴びた場合は死去、または生殖腺などに悪い影響を与える。

弱い被爆の場合も白血病、癌、染色体異常となる(以上、05/2/25のNHK教育テレビより大部分を引用)。
因みに1986/4/26のチェルノブイリの事故では9000人以上が死亡し16万人が避難した。其の後、牛乳を飲んだ子供が
一番大きな障害を受けた。農作物や牛も広い範囲で被曝していたからである。

セシウム137は土壌にカリウム肥料を撒けば吸収されるが、プルトニウムの半減期は24000年と長期間に及ぶ。大阪
府と同じ広さのベラルーシは今も立ち入り禁止である外、今も4000人以上が癌に苦しんでいる。史上最悪の事故とした
のは、科学の過信と政府の隠蔽体質であると言われている。

事故を起こした原発は石棺と言われるコンクリートで覆ったが、既に20年を経て崩落の危険があるため、ロシアは80%
の援助を海外に依存して第二石棺を造ろうとしている。こんな科学技術も愚劣であるが、ロシアと言うケチな国も情けな
い話です。チェルノブイリの事故から20年経った今でも英国ウェールズ地方の農場には放射能が残っている。

此の為、出荷には英国政府の安全確認検査を受ける事が義務付けられている。さて米国は日本の広島と長崎に原爆
を投下した。此の日は8月でした。よって円暦方位に従って放射能物質が日本列島を縦断する様に覆った筈です。直
接的には30万人の犠牲と言う被爆者を出したが、空中拡散した放射性物質は長期間残留して汚染し続ける。

半減期は最も短期間の234Uで25万年、Puで24360年である。此れが益々少子化に拍車を掛けるのか。其れにDNA
や胎児にどんな影響を及ぼすのか(「放射能」「黄砂」を参照)。いや米国は大和民族其のものを半永久的に地球上か
ら抹殺しようとした事になる。此の実験により25万年先にはどうなるか。

其れ(被爆障害)は未だ不明であるものの、その間は米国やキリスト教圏の前科として苛まれるに違いない。キリスト教
では原罪を言うが、20世紀には更に重罪を犯した事に気づかなければならない。此れが彼らの犯し易い宿命であり因
縁である(キリスト教を参照)。


放射冷却・・・・・・・・上空に寒気が来た時に下界では地表の熱が奪われて冷える事を気象用語(造語)として言った
もの。

宝珠・・・・・・・・・玉の宝物。山幸彦(若狭彦)が竜宮から貰ったと言われるのが潮満つ玉と潮干る玉であった。其の
伝承地が大阪・住吉の玉出ほか各地にあるが、玉の名前では例えば大阪・柏原市には玉手山があり、また神武天皇
の三代後に玉出見の命がいた。神前では三宝に載せてお供えする宝珠形のものがあり、此れは水入れである。

仏教では仏像に如意の宝珠や摩尼(まに)の宝珠を持った姿に造られる。宝珠そのものは水入れであるが、図像には
同時に火炎が描かれるので何か、灯油のようなものを燃やした形ではなくて、人魂を表したものか。摩尼とは梵語で
「如意」。如意とは意の如くの事であり、また悪を去り濁水を澄ませ、炎禍を去る功徳があると言うのが摩尼経。

また寺社の建物の軒下の欄干に付けた宝珠柱に被せる宝珠頭・擬宝珠(ギボウシュ)にも其の形が伝えられている。

砲術・・・・・・・・火砲操作法。幕末の高島秋帆が我国砲術の祖である。彼は蘭学を学んでやがて高島流砲術を完成
し、葉隠で知られる佐賀藩主を門人にして免許を与えた。だが旧式の砲術家の嫉妬を買って鳥居耀蔵により無罪で投
獄されてアヘン戦争のころ貴重な10年を浪費した。ペリー来航によって出獄し再び幕府に重用されたが69歳で死去。

因みに「気をつけ」「休め」「前へ進め」「担え銃つつ」などの軍隊号令を作ったのも彼であると言う(PISCO/06/8月号で
作家の井川香四郎氏)。


坊主・・・・・・・・・宿坊の主。即ち寺の住職と解釈する。ただ「寺の主」寺主と言うべきなのに何故「坊主」と言うのだ
ろう。寺には本堂以外に塔頭があり、外にも多くの宿坊があった。坊主とはつまり此の中の一つの宿坊の主(あるじ)の
事。従って御堂の主などの聖職者とは別の、宿(宿坊)の亭主であるから元来、俗(娑婆)世界に通じた達人だった。

仏教は出家が原則だから妻帯しないが、彼ら坊主は我が子に世襲しているのだから仏弟子とは違うのである。従って
古来、世間からは「坊主丸儲け」で代弁される立場である。特に昔から彼らは困窮し悩める善男善女に対して、「寺の
言う事を聞かないと地獄に落ちるぞ」と脅して来た。

言う通りの年貢や冥加金を荘園領主たる寺に納めなければ「仏罰が当たる」と脅して、欲しい侭の渡世で立派な暮らし
を立てて来た経緯もあったから憎まれた。ヒジリ(御堂の主)ではないのに、世間に向かっては煩悩を戒める顔を見せ
ながら、常に「房主」として君臨した。

常日頃、穢れた死者の世界に接している彼らも穢れて当然であり、煩悩の権化となるのは止むを得ない。要するに聖
職者ではなくて偽物・化け物に近いとも言える。そして中には弔いよりも僧坊(建物)管理人となっている場合も多い。
しかも残念なのは霊界(彼の世)の門番として君臨しながら今もって本心は霊界否定で金銭第一主義である点です。

お経は万巻あっても、今や月の裔のインドや中国でさえ仏教を相手にしなくなっている。此処は特に日本であるから今
や全くお経が無意味となっている筈であるが、万巻の一端でも理解したとは思えない彼らが其れを臆面もなく説こうとす
る。人前では経を説き、釈迦仏教を看板にして言葉巧みに禅問答で遊んでいる結構な世界の住人である。

或いは中途半端な官僚的輩(商売人)もいる。実体は古今不変ですから、信長がキリシタンと比べて余りにも違う所に
堕落した彼らに腹を立て、叡山を焼き討ちした気持ちを現代人でも良く理解出来る。官僚主義で済まして威張っていて
横着であるから世間から常に「くそ坊主」の陰口を叩かれたり俗人からも見下される。

既得権益に巣食う俗人であると見破られ、憎まれたが「坊主殺せば百年祟る」と脅して来た。ではあるが、「門前の小
僧」でも老僧でも坊主となればお経を歌っている手前、決まって人の上から教師のように雄弁に振る舞い、更にカラオ
ケの達人が多い。ただ難点は此の世界には盆・正月があるようでない。

サラリーマンのような定期休暇も長期休暇もない。日曜祭日を問わず毎日死者が有り、其の都度、葬式・法事に駆り出
されるからです。例外も有ろうが官公庁とは全く別の、完全なサービス体制に有る。こんな悪態をつく筆者であっても何
れは彼らの世話になって死ぬ外はないのですから実に大変重要な立場である。

かつまた人の死に立ち会うのですから悲しい仕事です。其処で知恵者が六耀と言う暦を利用して大安吉日とか仏滅と
言う日を作った。こうして彼らは何とか六日に一度、仏滅には休日をとる仕組みとしたのだろう。

封禅・・・・・・・・・始皇帝は山東省の泰山に登って封禅の儀式を行った。頂上に土を盛り上げて壇とし、此処に天の
神を祀った。此れが「封」であり、また泰山の麓の梁父と言う小山の上の土を削って地の神を祀った。此れが禅である
(「史記」、及び「中国文明の歴史」日比野丈夫編より一部引用した)。要するに「禅」とは人(死者)を埋める事だった。

「封建」、「聖地」を参照。

法治主義・・・・・・・・法で治める事。と言えば聞えが良い。暴力や圧制ではなくて法定主義で治めると言うのですか
ら結構な事です。ただ此れも立場によって二通りの解釈がある。先ず主権在民を前提とすれば国民が憲法を作って以
下の法律を取り締まり、政府や官僚を拘束して国を治めるものと理解するのが普通である。

所が政府や官僚は其れを逆手に使って来た。政府や官僚が法を決して管理し、国民を其の法に従わせ、従わない場
合は制定法で罰すると言う理屈である。こんな勝手な裁量主義で法を弄り、国民をたぶらかして来た。従って現実には
法治主義が機能せず、単に選挙合戦と経済主義が政治を支配て法定も法治も裁判所の道理も見られない。

つまり「看板倒れ」の上に官主主義の横行と独裁となっている。例えば何か事件が有れば処断されるのは国民だけで
ある。此れでは「法の前の平等」もない。納税によって公僕に責任を委任している国民が罰せられ、其の逆に責任者と
して俸禄を得ている官僚・公僕が責任から逃げてしまうのですから法治の道理もヘチマもない訳だ。

公僕たちは試験に合格したと言うだけで特に国民を支配する正当性などはない存在である。にも関わらず国民の頭の
上から法律ではない内部通達を乱発し、組織ぐるみで増税・納税を国民に義務付け強化し、何か有るたび罰則・罰金
を課そうとする。此れでは法治主義の逆用、もしくは誤解と濫用である。


包丁・・・・・・・・・伝統ある堺の打ち刃物などが有名である。ホンマモンは高額である。だが実を言えば金物の包丁で
切れば素材の味に金気が付くので料理の味が変わる。其の点から言えば竹包丁や石器時代の石包丁(サヌカイト・黒
曜石など)の方が優れていたかも知れない。其のためか今は高価なセラミック包丁などを使う方がある。

其れにもっと高価なダイヤモンドならガラスでも鉄でも石でも切れるし、また例えば同じ炭素である炭素繊維の包丁が
あれば竹包丁より切れ味が良く、しかも折れず割れず錆びず最高品となろうが、生憎ゴルフのカーボンシャフトや釣竿
などレジャー関連商品だけしか出回っていない。


防犯・・・・・・・・防犯とは犯罪防止の事であるが、犯罪防止では、かつて日本は「世界で一番安全」と言われ、或い
「日本人は安全と水は只と思っている」と言われたほど素晴らしい所でした。しかし其れは警察力が優秀だったから
ではなくて、日本人が神を崇敬して其の逆にある犯罪を憎み、許さないと言う優れた国民性があったからです。

しかし警察は自分が優秀であると誤解・宣伝して予算を増やして今のように増大したが、どれだけ犯罪が減っただろう
か。現実は警察力と比例して刑務所がパンクするほど犯罪増加の一途に歯止めが効かない有様にしている(「防災」を
参照)。

神なら兎も角、予知・予防・防災・防犯などは並の人間には実行出来ないにも拘わらず、此れまでのリーダーたちは、
如何にも其れが可能であるとの前提で話を進め、予算を取り、其れに見合う程度の怪しい法制度を拵え、また其れら
しい真似事をして予算を年々積み増して来たが悉く食い潰した。

つまり間違った考えには正しい結果はない、と分かろう。しかし其れにも無反省で彼らは夢遊病者のように「予知・予
防」と言いながら、人一人の命を救う事も、毎日の天気1つ変える事も出来ない以上、この方面では言わば無能・失格
である。と言えば言い過ぎであるなら亡国者と言い換えよう。

神を祭り、心を尊ぶ祭り事があれば国は安泰、政府も磐石である。だが神を軽視し、宗教を分離して税収・山分けの山
賊的輩がモノカネ主義の政府の頂点に立った時、国民は神も宗教も人の心も政府も信じなくなり、犯罪増加に向かっ
て当然である。

05/2月に仮釈放中で愛知の更生保護施設に在籍中の男がスーパーにいた一才の幼児(青山翔馬ちゃん)を刺し殺
す通り魔事件となった。犯人の氏家容疑者が悪い事は勿論だが、更生保護施設と言う施設が食事の提供だけで防犯
にもならず、一体「何を保護していたか」の責任も問われるべきだ。

何れにせよ「防犯」は神の光の見られる所に可能であって、其の逆にある犯罪増加は政府の無力(信用低下)のバロメ
ーターであり、革命か亡国の兆しなのだ。

ホーミー・・・・・・・・・イスラム教でコーランを天にも届けと言うように朗々と読み上げる事。仏教ではショウミョウ(声
明)が有るが此れは静かだ。

ホーミング・・・・・・・・・伝書鳩などの帰巣本能。またはミサイルなどがターゲットを自動的に追尾する事。
ホーム・・・・・・・・・家庭。本国。養老院など。野球ではホームベース。電車では駅のプラットホーム。

ホームレス・・・・・・・・・家のない人。大阪市では公園などに屯する彼らを度々強制排除して、其れが其の都度ニュー
スになるので行政の対応がマスコミや市民から批難される。なので、他方では幾分かの援助の姿勢を見せる。其処で
大都市では慈善団体やNPOなどが行政に働きかけてホームレスの人権や生活保護に向けて動いている。

しかし中には部屋を与えて月12万円の生活保護費を受け取らせ、ピン撥ねして餌食とする詐欺団体もあるし、或いは
入院が不必要な彼らを入院させて病院間を次々盥回しして、其の都度、税金で多大な検査漬けを繰り返す悪徳病院も
有る(07/2/9日のNHK総合TV「クローズアップ」より引用)。



方よけ・・・・・・・・・ホウジョ、方除けの寺社に参拝してお札を貰ったり、方位に則り、「方違え」を行う事(「かた違え」を
参照)。方除けの寺社には椿大社(三重県)や城南宮(京都・伏見)、或いは方違神社(堺市)がある。

法倫理・・・・・・・・・法哲学の一つ。法の目的を公平且つ円滑に施行する為の原則。例えば六法の前には憲法があ
り、諸法が悦脱しないように監視する意味役割がある。或いは日本が法治国家と言う場合は、罪刑法定主義の原則に
則るのが前提である。所が現実に事件や事故があった場合、其の責任を取るべき役人が責任を取らない。

処罰されるのは決まって民間人だけであるのが日本の実態である。此れでは法倫理がないと言われても仕方がない。
民主主義を徹底するためには「民間人を処分してはならない」と言うやや例外的な規定を設定する外ないのだろうか。
或いは、少なくても処罰の順位は役人からと徹底すべきである。

議会制民主主義を標榜した今の政府が、なし崩し的に官主主義の拡大と利権構造にしっかり納まった背景には、立法
府と司法が此の法倫理に曖昧だったためであろうが、此のままでは現政府への国民の信頼感は地に落ちよう。永六
輔さんも06/10/17のNHKTVで、「法律は国民の為にある。お役所のために有るのではない」

「彼等が許可したり国民を罰したりするのはおかしい」って、おっしゃってましたヨ。

●ホカイ・・・・・・・漢字では「外居」、「行器」と書く。木製の丸い容器の事。木材を薄く加工し、其れを曲げて仕上げる事
で強度を増したものであるが、重さが軽い容器なので行楽の弁当箱として、或いは美術的にも優れたホカイと呼ばれる
旅行・携行食器として使われた(次項、及び「桶」、「マゲワッパ」を参照)。

ホガイ(ホガウ)・・・・・・・祝う。言葉で祝う事を「言ほぎ」と言った。

▲ほき・・・・・・・・・
▲ほく・・・・・・・・・

北宋・・・・・・・・・シナの国名。宋が都を江南に移すまでの称。文治主義による官僚政治を樹立したが、外は契丹に
悩まされて歳貢。神宗の時、王安石の新法などの改革が行われたが、宋は旧法派と新法派との内部抗争があり、靖
康の変で徽宗(キソウ)の時に滅びた。金(女真)国に圧迫されて九代で南へ移った(広辞苑より)。

金は遼からの圧力も受けていた。其れに対して杭州の新都・臨安は仮の都として行在(アンザイ)とも呼んだが、此処で
も金国への対処策では和平派と主戦派で内部対立する事になる(南宋を参照)。

★北天主義・・・・・・神を日月星の何れとするかで三大暦法となったように、神の位置によって方位の採り方も違って来
る。神を太陽とした場合は「天子南面」の原則から南天主義を採った。其れに対して、神が暗闇の不動の星、つまり北
極星であるとしたのが北天主義であり、此れは結果として赤道中心主義、地軸主義でした。

獣もまた夜行性であり、従って砂漠の遊牧民は獣たちと夜間行動を主として来たし、海洋民も夜行・早朝性があり、夜
空の星の位置を手がかりに行動した。軍隊や武士も同様だった。よって「天子南面」に対して、臣下は北面した。鎌倉
時代、天皇に仕えた武士を「北面の武士」と言ったのは其の種の分限である。

因みに、現代日本人も都会人は夜行性となり、町を不夜城として薄明かりのネオンの巷を徘徊するようになった。地図
も全て北を天とする図北主義であるから、言わば近代社会は万事、北天主義である。

何れにせよ、方位の基準が「北」としても、其れが子午線、南北線から北の位置、つまり「子の方角」であるのか、それ
とも磁北であるのかさえ明示しない市販の地図や測量図が雑居したまま放置されているのが今の文化不明のカオス日
本である。

北面の武士・・・・・・天子南面に対して、臣下である者は古来、北面して仕えた。平安時代に発生した武士の立場も
同様である。都を守る職制としては元々衛士府や検非違使が有ったのだから、北面の武士は、亡き白河上皇が作った
上皇の言わば私設兵集団のような存在だった。つまり院の御所にある上皇・法皇を警護するガードマンの事。

彼らを「北おもて」と言い、四位、五位の者を上北面、六位の者を下北面と言った。其の首領が平忠盛(清盛の父)だっ
たが、お二人ともやがて武術より打算に長けるようになった見たい。

ボケ・・・・・・・・・認知症を参照。

母系社会・・・・・・子供が生まれると今でも、一月目には近くの産土神社に母子揃って宮参りします。それには普
通、姑が付き添います。何故亭主と舅ではないのか。仕事で忙しいからそうなっているのかも知れませんが、実は此処
には母系社会の名残りが見られるようで微笑ましく思います。

古来日本は母系社会であり、娘に婿を取って跡継ぎとする婿養子や末子相続が主であって、男子・長子相続制度は渡
来の風習でした。母系では当然、円系図で先祖を祭って来ました。所が律令から封建時代、武家の時代を通じて、日
本は序々に男尊女卑の男子のしかも長子相続制を採るようになり、僧籍や武家と同様の縦系図を残す事となった。

だが其れは元々、朝鮮やモンゴルなど儒教圏とか、星族社会の遊牧・騎馬民族の風習であり相続制度でした。所が今
の日本では、三文小説やテレビドラマでも渡来系の作者が決まって婿養子を偏見によって蔑視し、僻ひがみ根性から反
感をもって婿養子を必ず悪者に仕立て上げるが、此れは作者の無知か作為であり、何の根拠もない事です。

例えばかの松下幸之助も婿養子だが立派でした。戦国の世を統一したかの織田信長公でさえ斎藤道三の娘婿でした
し、第一、日本の国づくりをした大国主命も、神武天皇も応神天皇も婿養子として日本のために尽くした結果において、
貴い文化を残し、其れが此れまでの輝かしい日本の礎になった。

とすれば、男尊女卑より婿取りの母系社会のほうが良かった事になります。母系や婿が日本を作って来た事の優れた
面が見えて来るでしょう。さて今、夫婦別姓が問われているが、元から別姓だった。例えばかの北条政子は決して源政
子とは言わなかった。日野富子(足利義政夫人)も、足利富子とは言わなかった。

前田利家の妻「まつ」も、高畠まつであったろう(一部は「家系研究協議会・第九号会報」の白江勉の論説より引用)。

捕鯨禁止・・・・・・欧米人は自分たちが単に鯨油を採るために鯨を殺して来た(肉は捨てた)。ペリー来航は砲艦外
交の見本であるが、其れは捕鯨船のためであった。だがそうした彼らは過去を隠し、しかも自分たちが毎日、何万頭も
の牛や羊を殺して其れを常食としている事を棚に上げて、他国には動物愛護と捕鯨全面禁止を押し付けて来た。

此れが彼らの正義とかイデオロギーの実体である。イデオロギーは思想などではなくて異教性の事である。動物愛護も
環境保護も、美名とは違う裏があります。彼らが言う正義や正当性、公平・平等性など、正義面して何と言おうとも、道
理もへちまもない、エゴによる歪んだ物が多いので要注意です。其れに比べて日本人は底抜けのお人よしだ。

不良肉粉を売ってBSE問題の種を世界各地に撒き散らしたイギリスと、其の牛を圧力を掛けて日本に押し売りする米
国。そのためにする「捕鯨禁止」である。そんな彼らを面と向かって批難し、「ノー」と言える日本人が居ない。しかも折
角、鯨やシャチが海岸まで流れ着いて来ても毎回「救出行動」に出る。

不思議と言うか偽善的と言うか、此れには言葉を失う。鯨が流れ着くのもシャチが流氷に閉じ込められるのも人間のせ
いではなくて、「日本人に食わせれば喜ぶだろう」と思う、海からのプレゼントなのだ。

海を荒らす彼らを、海が排除してプレゼントしてくる行為を、僅かな人たちが勝手に歪めて考えたり、小心にもマスコミ
や他人の顔色を伺う必要はない。風を使い、波や流氷を使って海が追い込んでくれた恩恵に対して、自分の体を張っ
て、命の危険も顧みずに鯨やシャチを再び海に追い返す必要はないのである。

法華・・・・・・八弁のハスや十六弁菊花紋で述べたように、自然界の植物は左右対称的な成育をしない。フィボナッチ
の数列のように複雑で、しかも固有にして一定のパターンを作ります。要するに枝葉や花弁は基本的に非対称形、つ
まり偶数ではなく奇数形となる。

其の点、法華は自然界に実在する花ではなくて判で押したような紋切り型である。つまり法華とは御法、即ち哲理によ
って咲いた花の事。他方、釈迦の時代から法華経があり、また「法華」を名乗る宗派も出ながら何故か此れには触れて
ないが、密教では法身を説いた。人や先祖・神の形の場合は現実の肉体に対して法身と言う。

何れも先祖や霊(魂)の実相を教えたものであり、此れがまた曼荼羅の基本でも有る。「円系図」、「菊」、「守護霊」、「金
胎曼荼羅」、「蓮」、「ヤタの原理」を参照。


・鉾・・・・・・・・矛と鉾とは何処がどう違うのか。両者にはマとムの字が付いている。似ているが、よく見れば其
の形は▲と▼、つまり逆方位を示している。従ってマの字は天下の物を指し、逆にムの字は天上の架空・抽象的な事
象を示していると仮定出来る。

例えば「マ」では了、予、矛、野、勇、柔、序、務、舒、橘・・・・等があり、其れに対して「ム」では云、去、至、牟、矣、室、
弁、台、法、鉾、公、参、參、勾、鬼、魂、魄、・・・・・等がある。「マ」はつまり「了」から変化したと云える。「了」は剣を地
に突き刺した形の全体を省略して、影の部分だけ略して書いた文字と思われる(マ」「矛」を参照)。

こうした具体的な物質ではなくて、架空の天象とか勾配と言うような事には「ム」の字を付けた(「ム」「勾配」を参照)。
鉾の部類には弋(か)・矛・鉾・鋒・剣・刀・・・・・等があり、今では全て武器と誤解されているが其れは根も葉もない。

考古学でも一般常識でも「鉾は武器である」と言う固定観念が強いが、そう決め付けて見てしまえば全く誤解となり、そ
の誤解からは正解が得られない。言うまでも無く矛は日本刀のような反りのある片刃の剣ではなく、両刃の直刀です。
此れでは人を斬ったり刺したりする武器としては使い勝手が良くない。

つまり鉾は人や獣ではなく、地面に刺して天と地の測量に使う、言わば「杭先」でした。地面に突き刺した鉾に紐で旗棹
を結び付けて、其処から四方に引き綱を張ったのです。其の構造から言えば両刃の直刀でもあるが、柄(握り)の違い
で二種に分かれる。穴の開いたのが槍・鉾・鑓・鋒である。

穴を開けた意味は、其処に棒を挿し入れて長柄としたからです。次に把手(握り)になっていて言わば直刀・短剣の形を
とっているのが矛・弋(か)・剣・刀と言えよう。これ等は何れも祭式に使うものでした。従って漢字でも弋(か)の字から
式・弐・武・・・等の会意形声文字に分化して行くのです。序に文字の形も見て見よう。

「弋」の字は「式構え」にも似ているが、此処では短剣を地上に突き刺した形を描いた文字と理解する。ただ全体を描か
ずに略して影の部分だけを書いた。此れは梵字の場合でも同様でした。其れに対して「矛」の字の上の「マ」の字は、突
き刺すときに押し込むための柄であり、また突き刺した剣を引き抜くときの引き手となる柄の形です。

次に、了(リョウ)の下の部についてはケツ(はね棒)と言うが、此れは剣先を地面に突き刺した全体の形を略して、刃
の片面だけを描いた象形文字でした。そして次に了(リョウ)の字の肩にも「つ」のような字が付いているが、此れは矛を
突き刺した時に、地面の一定の所で止めるためのストッパーであり、基準板になっていた(「か・弋」を参照)。

其れに矛の字には更にキバ(牙)のようなノの字が付けている。此れはしかしキバではなくて、「この矛は紐を付けて使
う神器である」として別に示した事になります。以上から「地に刺すもの」と理解できます。次に「鉾」と言う漢字はムと牛
と金で示しています。

この「ム」は前述の理由により日影の勾配を意味し、同時に垂直を見る「錘」を象った指事文字であり、次の牛は午の
字と同様、南を示し、同時に空鋤(スキ)、つまり土に刺すものでした。所で三種の神器には鏡と勾玉、そして鉾(剣)が
有りました。何れも宝物や飾り物ではなくて天文と方位と測量に使う実用品でした。

鏡は太陽観測に、勾玉は月の暦計算と角度の測量に、そして鉾(剣)は、地上に突き刺して柄の先には紐や旗を付け
た。天の星座に対するこれ等の地上の座(方位位置)を設定して天の日月星の動きを計った訳です。先ず中心に見柱
を立てて、其の周りに鉾を立てた。

中心に対する鉾は周りの多数の座(蔵)の1つとして、個々に方位の位置付けをする役割でした。そうして何本もの鉾を
地に立てて、日影の角度や距離、或いは夜空の星に目星を付けたのでしょう。そのため柄は上から叩けるようになって
おり、また、抜くときに抜き易いように作られていた。

此れは年に1〜2度しか使わないので、使用しない時に納める所をホコラ(祠)と言った。剣璽(ケンジ)や護符もまた鉾
や「弋」の形代(かたしろ)です。矛や剣はこのように人を突き殺すための武器ではなく、観測器具でした。キリスト教の
シンボルにも鉾と全く同じ槍が「聖槍」として今もハプスブルグ家(ドラキュラを参照)の宝となっています。

其れはイエスを処刑した際に、イエスの死を確認するためにロンギヌスと言う兵士(後に聖人の一人となった)が脇腹を
刺したものだと言われている。その「聖槍」の柄の部分には×印が付けられている。其れは出雲の荒神谷の銅剣の一
部に見られた×印と似ている。

キリスト教圏では以後こうした「聖槍」を手にした者は何れも不思議な能力が備わり、世界の王として君臨すると言う伝
説と信仰が生まれ、事実、歴代皇帝の手を経て現在はハプスブルグ家に伝わっている。ただヴァチカン宝物館やその
外にも「聖槍」と言われる物が伝わっているので偽物もあるのだろう。

何れにせよ、本来は天文と土地の測量器具だった矛や槍が、この頃、2000年前から人殺しや戦いに誤用・流用・悪
用され、しかも簡単に人殺しのし易い工夫として片刃の剣に変化し、其れ専門の凶器としてしか理解されなくなったので
す(「か・弋」、及び「柱と座」、または「環頭太刀」を参照)。

墓参・・・・・・・墓石を参照。

・・・・・・・天と地にホシはある。夜空には冷たく光るホタル火のような小さな星が散らばっている。無数の星がある
ために、地上の人の言葉にも「星の数ほどある」と言うようなモノは、全て没個性的存在です。ただ今の日本人は闇夜
の星への謎に関心を抱いたり憧れを持つ人が多く、従って「天文」と言えば星空と思い込んでいる。

ただ、砂漠なら兎も角、湿度の多い日本国内では星空が殆ど見えない。都会では尚更無理である。見えないものを論
じても始まらないので此処ではなるべく避けて通る。だが見えない事を幸いに天文学者は殊更、数字や空想的写真を
並べて嘘八百のバーチャル空間を絵解きして見せて夜見の天文ビジネスや星占いを刷り込んでいる。

其の点にもっと注意すべきである。其れに星は、警察が言うホシなら犯人(容疑者)である。星の数ほどいる世間の中
から、ホシを追うのが警察であり、警察もまた星のマークを階級章に着けている。星はこの様に目星(めぼし)・対象に
なる存在です。ただ夜空の星は見上げる星だが、ホシやペットは目下の星だ。犯人でも獣でも家畜でも目下です。

人気スターとなる星(スター)は一時の憧れの的になるが、犯人や敵は攻撃の対象(的)となる星(スター)である。星は
何れも何らかの強みか毒をもつ。人気かピストルか、凶器か毒か。爆薬・薬(ドラッグ)を持つ類です。例え日本人とか
女性であっても、嫌煙権を振り回したり、精神的な目線が下に向かう人たちは星の類いである。

★星族の一神教・・・・・・・黄泉の国では闇夜の光となる星が人の神である。各個人にとって先祖はバラバラですから
社会集団が大きくなり、それらを政治的に統一して団結を維持しようとする場合は目に見えない先祖よりも目に見える
星を神とした。支配の目的のためには真実の神に代わる架空の観念や宗教を創造しなければならない。

また太陽信仰を続けたくても大陸は夜行性の国ですから星を頼りに暮らすしかありません。其処で例えばユダヤキリス
ト教の至高神・エホバの実体について見れば、其の概念はかなり曖昧です。よって仮に推定すれば、日本語の矢部、
八部などをヘブライ語でヤーべとし、ギリシャ語ではエホバと書き記した。

これなら何とでも解釈できるから人民は反対できない。よってギリシャのローカルな星の神・ゼウスの上にエホバと言う
神を位置づけた疑いがあります。

★星族の運転マナー・・・・・・・英国シノベート社の最近の調査(JAF.Mete05/11)に依れば、運転マナーのワース
トワンは南アとなった。バッシングは南ア、ブラジル、ギリシャの順。クラクションはギリシャ、南ア、ブラジル。暴言など
は英国、ギリシャ、米国の順。攻撃的な運転は南ア、英国、ギリシャ。

車から降りて威嚇するのはギリシャ、インド、南アと英国の順。暴力と武器がインド、ギリシャ、ブラジル、韓国の順であ
る。以上だが・・・此れはマナーの無いサッカーの盛んな国と重なっているように見えます。でも直ぐにピストルを乱射す
る米国が此処に入っていないのが不思議です。ダントツですから言うまでもなかったのだろうか。

星族の階級性・・・・・・・星は何れも没個性的存在です。其処で殊更、星を一等星から六等星までランク付けする
ように西欧社会では人種でもランク付けする社会です。ヨーロッパ大陸は人類が何処でも歩いて行けるので多民族が
混在する。言葉も別々で各々が個別に一神教を持っている場合は調和も統一も無理であり収拾が着かなくなる。

このため政教分離がベターな方策として選択される。或いは問答無用で武力制圧して統一する事もある。よって蛮族と
言い、夜見の国とも言って良い。例えば05年にはパリの移民の町で暴動となり、忽ちフランス全土に拡大した。

政府は強硬策を打ち出して鎮まったものの、自由と平等を建前とするフランスの実態が実は不平等な差別社会である
事が暴露した。此処は既にイスラム教徒のスカーフを禁止し、暴動の後はラップ音楽も取り締まるなど、差別が強化さ
れた。日本の政治は祭り事が建前であるが、星族の政府の役割は治安の維持である。

此の社会では民主的な建前とは裏腹に多民族との議論は無用。イデオロギー(異教性)が正義や主体とはならずに異
端とされて当然なのだ。従って移民たちの就職率は平均の30%である。よってフランスは差別の問題が20年ごとにピ
ークに達して大きなデモが繰り返す(06/1/11のNHK総合TV「クローズアップ」より一部引用)。

星の神・・・・・・・イスラエルの伝承で「火」は神の臨在の象徴とする通り、星族は火の神を崇める。星族は星の神か
もしくは火の神を崇拝する。だからスポーツの祭典・オリンピックでも聖火ランナーによって始まる訳です。ただ地上か
ら見える星は太陽に比べれば小さく、光の量も僅かであり、ホタル火に等しい。

しかし夜間、何も目標の見えない砂漠や大洋上では、それでも役に立つことが有る。例えば星空が天の地図として、キ
ャラバンや海賊たちを確実に目標地点へ案内する神となる。従って彼らヨミの民は、星を侮ったり星に無知では生きら
れない。

人々を導くのはヨミの星神であるのだから、その星が多数の星の内のどの星だったか迷い、不明となればその時点で
直ぐに死に直結するのである。従ってこのヨミの世界では一神教だけが正しい。火の神としては例えば拝火教がある。
夜間行動する人たちや寒冷地では、火の神もまた暗い足元を照らしたり暖を与えてくれる大切な存在でした。

★星の軍隊・・・・・・・月は変化し個性的な人を作るが、星は没個性的存在ですから人類も個性を消してしまう。闇夜で
光るのは数だけで良いので数で勝負する。日本の武士たちが平安・鎌倉の絵巻物にあるように煌びやかで個性的な
人間味の有る存在だったのに比べて、西洋のナイトや兵士たちは極めて素朴でロボットのように個性がない。

其の事は、今の各国の軍隊でも同様である。洋式軍隊は何れもピラミッドのような組織を作るものの、ユニホームと言
う没個性的な制服で統一し、星の数(階級章)でランク付けて、冷徹で非人間的で絶対的な指揮・命令系統を構成す
る。特に近代戦では個人プレーを許さず、機械的な団体戦、星の数による集団戦法を採る。

星の文明・・・・・・・宗教の中で、西洋一神教がユダヤ教、キリスト教、イスラム教であり、其のルーツはアブラハム
である。彼は西洋人と言うより言わばイラク人だった。今でもカトリックのシスターたちはアラブ人の服装であって決して
フランス人形の服装ではない。でも今のヨーロッパではスカーフを禁止しようとしている。

また本来の科学は自然科学であるが、星の科学は自然に対抗するための人為的で不自然な科学を目差した。特に物
質科学の得意とする軍事科学と軍医学(医学を参照)である。中でも例えば西洋医学はギリシャ医学であり、つまりオリ
エント医学でした。其れがイスラムで栄えて其れを日本はオランダ人から蘭学として学んだ。

以来、日本はドイツ語でカルテを書いて、薬学・化学はラテン語で書いて来た。星族は純粋さを尊び、分割、破壊、分
離、分類、分析・・・を得意とするが、何も統一性がない。にも拘わらず今も画一化、合理化、グローバル化を標榜して
いる。此れで果たして旨く行くのだろうか(クリスマスを参照)。

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