http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page229.html(未定稿)


          日知り事典   ソ 

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●そ・・・・・・・「そ」は十、つまり「10」の意味もあるが、本来は「結び」であり、糸を結んで作った衣服をミソ(神衣)と言っ
た。

・・・・・・相とは相場や首相と言ったように多くの用語になっているが、単に意味する所は「木の目」、即ち年輪であ
る。ただ広義には「八方の目」、即ち全体の形の様を言う。例えば天体の星座の配置を位相・座相と云い、家の様を配
置から見るのが家相です。

仏の様を観相と云い、人の相では、顔相、人相、骨相、険相、手相、足相から病相、死相、墓相、地相などと類型化出
来よう。現象面では世相、様相、表相、事相、真相、諸相、皮相、実相、があり、諸相の関係を相関、相似、相生・相
性、相対で見る。その他として、変相、色相、異相、奇相もある。

先の実相とは本質、根本、つまり「種」の事(円系図を参照)であり、其れに対して異相とは、本質とは別の徒花とか、実
体とは別のバーチャルなど仮想・異様・異形・異体の虚の表象空間を云う。其れに惑わされない為には方位と言う基準
が肝要であり、そのために昔は方相士があり、今は円相学が有ります。

相応の理・・・・・・この世の万物は因果により生成消滅する。消滅すれば終わりかと言うと、そうでもなくて死後にあ
の世へ逝っても此の理は同様に働く。ただあの世では肉体がないのでこの世とあの世を繋ぐのは心だけである。つま
り心掛けが良ければ思った所に行く。肉体がないので人が望めば貝にも虫にもサルにでも変身可能である。

ただ相応の理により、あの世でもこの世でも因果律が働く。蛙の子は蛙になり、人の子は人になる。其の理を越えても
し人がサルの仲間に入ったら実に暮らし難い。サルは好奇心が強いので最初は大歓迎してくれようが、三日もすれば
人間臭いサルとは話も合わないので疎外するようになる。

因果律が想念を作り、想念が因縁を作る。此れを相応の理と言う。人は其の想念に相応しい所に暮らす。生誕地も入
進学も就職先も結婚相手も同じレベルの処に安住するのが幸福感を伴う。其れに飽きて、背伸びして仮に自分よりも
高いレベルの処に行けば、勉強もついて行けないので落第と言うショックを受ける。

ですから生きている間は無論の事、死後も、同様に個別の行き先がある訳ですから、誰もが高いレベルの天国に行け
る訳ではない。間違って行ったとすれば苦しむだけである。奉仕者や宗教家は大丈夫だが、スポーツや肉食好きの人
たちは天国ではなく確実に地獄や畜生道に入る。

獣たちが夕方から動き出すように、不夜城のような大都会に住む都会人も星と共に出没し、夜行性の暮らしを好むな
らば犯罪多発の畜生界で何時までも輪廻する。

ソヴィエト連邦・・・・・・帝政ロシア(ロシアを参照)のロマノフ2世の時、マルクスの社会主義思想の影響でロシア
に3月革命が起こり、私有財産の公有化を図る労働者・農民・兵士による評議会(ソヴィエト)が出来た。地主や資本家
による臨時政府も出来たが、レーニンは全ての権力をソヴィエトに集めようとした。

彼は「此れまでの戦争は帝国主義の戦争だった。だから戦争をなくすには帝国ではなく社会主義にする必要がある」と
説いた。此のため土地の国有化、銀行などの国有化を進めた。また単独でドイツへ多額の賠償金を払って戦争終結を
図ったが、国内は此れに反対する勢力との内戦となった。

第一次世界大戦となり、ドイツ革命により終戦となったが、列強は国内に社会主義が入るのを恐れて干渉戦争が続い
た。1919年に中国では五四運動が始まり、インドではガンジーがド独立運動を始めるなど各地で民族解放運動が広
まった。戦争を止めるための社会主義が皮肉にも各地に戦争を巻き起こした。

他方、レーニンは工業の国有化、私的商業の禁止、農産物の強制徴発制、食糧の配給制を打ち出していたが、其れ
が失敗したので一部商業を認める「新経済政策」として修正し、1921年にロシアで第一回コミンテルンを結成した。

1922年には日本がシベリア出兵から引き上げたのでやっと1922〜27、ソ連邦が成立した(06/1/16のNHK教
育TVより引用)。計算ずくの計画経済だったが失敗し、20世紀を「戦争の世紀」としたものの1991年に崩壊した。ソ
連邦のエネルギーは巨大だったが其の歴史は僅か69年間だった。

臓器移植・・・・・・釈迦の時代、子供を食う女がいたので釈迦が懲らしめの為に彼女の女児を隠して見せしめとし、
諭した話がカリテイモ(鬼子母神)とザクロの由来(縁起噺)である。インドの稲荷神・ダキニ天も心臓や肝を食う神とし
て恐れられた(各項を参照)。つまり此の当時から既に腑分け(臓器移植)が行われていたものと推定出来る。

其の因縁が今の臓器移植である。医学は失敗を重ねたが生き残りのための究極の医学ビジネスが矢張り此処に行き
着く。「中国では死刑囚から大半の臓器提供」(05/12/10毎日記事)。04年に中国で実施された肝移植は約270
0例で、腎移植は約6000例。95%以上が死刑囚からの提供だった(「心臓移植」を参照)。

日本でも自分の命が助かりたい一心の、エゴの心理が魔物の心となり、他人の死を待つ醜い心となる。神に通じる事
ではない訳です。またそうした患者のために交通事故や誘拐が増え、或いは事故で解剖された人体が闇から闇に斡
旋・売買され移植されて、何れも有り難いビジネスとなるのが闇夜の日中である。無論、その後の死亡率も高い。

06/3/17のabcTVによれば、臓器移植法が成立して以来、日本で行われたのは表向き41件だけ。臓器提供者がいない
ためだ。このため中国に殺到している。中国では此れまでに453人以上の外人に実施した。米国の場合は年間1.6万
件、中国は1.3万件実施している。其のうち中国での日本人への其れは年間100件以上と言う。

但し提供者の殆どが死刑囚。中国には臓器移植を禁止する法律がなく、人民法院などが通達で此れを認めている。だ
が年間3000~1万人もの死刑そのものが正当性や必要性があるのか疑わしいし、外国人から年間300億円稼ぐために
死刑執行が増えるとすれば此れも問題ではないか。


臓器提供・・・・・・前項の続き。厚生労働省は3600万人が加入する政管健保の保険証の裏に、06年度中に臓器提供
の意思表示する欄を設ける事にした。臓器移植が不人気なため、其れを奨励する意味で、ドナーカードに準じて行うも
の。だが決してサインすべきではない。今の医学や臓器移植では何も問題解決にならないからである。

▲葬式・・・・・・下記の「葬法」へ

相似性・・・・・・今の日本人の殆どが未来志向の前向き論者であるが、未来は未知数であって何の実績も保証もな
いものです。其れに比べれば過去は完全だったが故に成立した。先祖もまた完全だった事は円系図(別項参照)にす
れば判明する。

過去は「完全無欠の世界」があったにも拘わらず、ダーウィンは猿知恵によって進化論を唱えてしまった。以来「過去は
未完であったが、此れから進歩して未来は完全になる」と言うような幻想的な世迷言を騙り、其れが法則でもあるかの
ように刷り込み、世を惑わすヤカラを増やした訳です。たが過去と大自然とは完全な世界です。

其処には無駄なものばかりがあるように見えるが無駄なものは一切存在しない。一見して無駄と思えるような雑草であ
っても何も不要な存在ではない。未熟者が勝手に選り好みしてそう思うだけに過ぎないのだ。大自然は多様で多彩であ
り、画一的な一律主義の数値科学やグローバル化は全く通用しない。

近代科学が通用するのは今のモノカネ主義の狭い社会や一過性の時代だけの事あって、古今を通じる法則性ではな
い。と言うわけですから此れに逆らう科学者は分析分類主義から離れてもっと相関性・相似性を知る事です。

マクロの宇宙の仕組みやDNAも相似性があり、ミクロの世界では原子核が有ります。此れは方位によって電子が軌道
を分けて廻っている。原子核(電子殻)の基本は八方であり、K殻で2ヶ、L殻で8ヶ、M殻で18ヶ、N殻では32ヶ、O殻
32ヶ、P殻18ヶ、Q殻8ヶ、と言う各々最大数が決まっていてそれ以上は入れない。

物質界を支える霊界も此れと相似であり、生死の繰り返しをする座席が八方に割れて決まっている訳です。B5とB4の
用紙が対称軸に対して比例するので此れを相似と言い、また、「日本列島の形が世界の縮図であると言われるのもま
た相似性から言ったものである。例えば本州がユーラシア大陸で九州はアフリカに相似です。

このように日本は世界の縮図であり臍のような要に立地している。其処から「日本は世界の雛形」とも言われる。よって
日本に起こる事はやがて世界に伝播する、と大本教は見ていた。相似性とはピラミッドと三角形のように、縮尺で大小
が出来るが、相似とは実は、方位を軸とした時空の伸縮であり、此処に於いて霊界は現界と繋がる。

例えば「ひな祭り」の人形は人間の縮小形です。其処で人間の罪ケガレをその人形に吹きつけて託し、此れを川に流
す事で、その人の罪ケガレを相似の人形に身代わりさせ祓ってくれるよう祈った。此れはしかし形の上から見た相似性
に過ぎない。本当の相似性は心であり、魂である。

魂が動くのは先祖と子孫であって、サルと人とが涙を流して感動しあえる事はない。一昔前にエルビスプレスリーが世
の女性たちを虜にしたのは、彼の声に心が痺れたからであり、其れは同世代の若者たちの同調現象でした。このとき
のサルは多分、プレスリーには感動しなかったろう。天気もまた人の心に直ぐに反応して変わる。

此れを天人相関の理と言う(同項を参照)。

増税システム(構造)・・・・・・税は祭りのための神へのニエ、または貢であり、其れが租庸調でした。従って本来
は一度集めたものを祭りの場で使っても、残ったものは必ず「御下がり」として再配分する輪番の座の組織が集める資
格があった。つまり神へのニエ(お供え)は其のつど精算して余分なものを後に蓄積しない方式(役)が採られた。

所が今の役場の連中は祭り事をせずに神様もそっちのけにして税金に群がり金銭だけを仕切る。従って役所は何処も
徴税山分けで紛糾する場として、すっからかんに横取りするシステムにしているので、結局増税構造だけを置き土産と
して残す。他の残り物(置土産)も問題ばかりです。

例えば、先にリベートをピンはねして箱物を残すし、お役人たちが挙って天下り先に恩義を作るために助成先を増やす
とか、太鼓持ちの手下をどんどん召抱えるから無駄な組織がアミーバのように増殖する。

更に彼らは公職で一度握った情報を決して手放さずに死守・温存し、其れを保身の手段や既得権域として残すなど、
諸問題を生んで目に余る醜態を残している。祭り事にはニエは欠かせないものとは言え、全部のコストを均等に分担す
る筋合いのものではなかったし、従って増税と言う概念は無縁でした。

少なくとも騙し討ちで増税するような姑息な手段は通用しなかった。所が明治以降、政府の仕組みが洋式に習って軍国
化したため国民に対する無能と不誠実が目立つ様になった。殖産興業とか福祉政策と言う目的の為に右肩上がりの
増税構造にしたのである。

こうしたのは、国民をオオミタカラとは見ずに、洋式の観念で支配と被支配と言う二極対立方式として敵視し出したから
である。例えば「税法改正」で言えば、此れは改正と言えるようなものではなくて、徒に複雑なカラクリを乱発して徴税の
コストを上げた。其れを全部下部構造の国民へお仕着せする態度で自動的に設定した。

従って政府組織はアミーバのように膨張したものの、政府と国民の精神は共に荒び、政府は硬直化し、国民は暮らしも
苦しく身を細めたし、体力低下で元気をなくした。確かに飢え死にする国民は少なくなったものの、それに倍する悲惨さ
が見られる。

例えばマスコミは此れまで10:5:3(トーゴーサン)と言うような解説をして来た。税金をサラリーマンは10割り分取ら
れ、自営業者は5割りだけ、農家は3割しか払ってないと言ったものだった。つまり農家や自営業者が殆ど脱税して来た
ような言われ方だった。

サラリーマンは10割に対して完全に課税されるが、自営業者や農家は自主申告だから所得を誤魔化している筈だと言
う仮定の論理です。詳細は不明だが結果を見れば分かる。其れならどうして農家が減り、商店街は潰れて「シャッター
通り」になったのか。町工場はなくなり、農家は廃業が増えて後継ぎもなくなった。

彼らがもし脱税で儲けていたなら揃ってビルを建てただろう。しかし現実は逆だった。嘘を吹聴したマスコミなどは今、
此れをどう説明するのか。現実には脱税ではなくて、寧ろ所得税、固定資産税、相続税など諸税の過酷な徴税に耐え
られずに転業さえ出来ずに廃業したのであろう。

其の一方で、楽々と生き残ったのが大半のサラリーマンで、完全に太ったのは行政だけでした。結果を見れば説明不
要である。更に今、毎年三万人の自殺者がある上に凶悪犯罪の増大が日常茶飯事となっており、銭金次第で「食うか
食われるか」の弱肉強食の世相を現出させたが打つ手がないとして放置状態にしている。

政治の失敗の第二が祭政分離と言う愚策でした。此れにより神に代わって上に立った無能な政府の役人たちが国民
を敵視・管理する政策を踏襲した。更に第3として、税務署や役場が一般中小零細企業や国民を悪と見下して悪代官と
して君臨し、常に膨張して割高となった公務に関して無反省で其のコストを高負担で課して来た事。

或いは切捨てて来たからであり、その下で農家と自営業者は耐えた。或いは身に余る酷税高負担に喘ぎながら遂に廃
業し、或いは納税出来ない所まで追い詰められ疲弊してしまった。例えば消費税について小泉首相は、「当分上げな
い」と明言して来たにも拘わらず其の舌の根も乾かない内に2003/3/31に下記の点について決定していた。

其れを実施日の直前の03/12/4日に税務署から一般零細業者に通知した。こうした行為は国民が合意した法律では
なくて、通達と言う無法な裏切り行為である。省内の役人に命令する一般通達のやり方で国民に通告したのですから
二度びっくりである。

その内容は、「消費税が変わります。課税売上高が1000万円(現行3000万円)に引き上げられます」と言うものである。
此れは実質増税の騙し討ちであって国民に誠実な公僕としての政府のする事ではない。国の財政が巨額の赤字財政
にある事は国民にも知らされて来た。だが其の原因除去には無反省のままだ。

例えば公務員の給与は高額据え置きでリストラする事もなく、大銀行に対しては多数の国民の反論を封じて公的資金
を投入し続けて来た。凡そ国民から政府を預かる為政者が、倒産寸前の所まで至らしめた場合は辞めるべきだ。台所
を預かった者が、やっていけないほど無能なら潔く其の責任をとって辞めるのが当たり前であろう。

だが彼らは其れ(反省)すら出来ない。ならばもっとリストラして腐った体質の浄化を図るべきである。所が自らの粛清
(体質改善)さえ出来ずに税金をもっと遣せと国民にせびって「使い放題・取り放題」である。

此れが彼の唱える「三位一体の改革」の実体とすればお寒い。為政者や公僕たちには自浄能力がなく、有るのは「美
味しいものに群がる」集り根性と、国民に対して「もっとヨコセ」とタカリ、ピンハネを強要する体質である。こうした逆様
の、悪税体質の悪代官は、更に「消費税は誰もが負担すべきものだ」と先ず口を揃えて「建て前」だけを言う。

其の上、「世界の先進国の消費税はもっと高率である・・・・」と、システムの違う外国と数字だけで比べるのである。しか
も消費税は自分が集めるのではなくて、「お前達がかき集めて持って来い !」と民間零細業者にまで其のシステムの下
部組織に組み込む仕組みである。

国民から俸給を得ている自分たちが事業に必要な資金は自ら集めるべき立場にありながら、その手間隙を惜しんで、
「国民の、国民による税を、国民自身でかき集めて持って来い」と言う横着な態度である。共産党のチラシ(04/6/23)に
よれば、「消費税を導入して16年、総額は148兆円に上る。其の一方で法人三税は145兆円の減である。

しかも大企業は消費税を1円も払ってない」と言う。彼らは年金問題でも醜態を重ねるが、政府が失敗したなら取り込ん
だ利権業務は放棄して民営化すべきである。しかしこうした利権・金づるは決して手放さないのだ。寧ろ逆に「一元化」
と称して、自治体から取り上げた結果、更に加入者減にしたのですから、一体何を考えているのか分からなくなります。

お役人の本音は、国民に命令する事と、次は「其の税金を山分けしたい」と言う認識しかない。従って其の片棒を担ぎ
たい者は申請して認可を得なければならない。適格者としての手続きが出来た者だけ「取立て屋」の手先の下請けとし
て使ってやろうと言う魂胆である。無論、国民の側にも怠け者や不正体質の企業や不正直者がいる。

消費税に便乗してチャッカリと消費税で儲けている不心得者も有るだろうが、こうした例外を基準に一般零細業者を痛
めつけたらどうなるのか。何時も従順で手近な所の弱者虐めでのみ政権維持を図るなら物事の本質を歪め、税法の
公平性を自ら崩している事になろうし、それでは真面目な納税者のみならず、大多数の国民も離反しよう。

何れにせよ、此れによる社会への悪影響は大きい。祭り事には大義名分として必ず神が存在した。従って祭りの後は
必ず「御下がり」と言う反対給付があった。此れは欲の皮が突っ張って言うのではなくて、其れで氏子たちが神の心を
戴く物種となったからである。

所が今の政府は国民から奪うばかりで、コストに見合う給付が「スズメの涙」かゼスチュアだけである。今の世間は不
景気でニッチモサッチモ行かない小規模零細企業が、商品やサービスに消費税を上乗せして客に請求できる状態に
はない。従ってお役所が絵に描くほど簡単には行きません。

だからピンハネに協力できない「真っ正直で気の弱い」小企業は、自腹を切るなど何とか工面して其の分を悪代官に上
納させられる仕掛けと分かる。此れでは譬え「お上」とは言って見ても、道理もへったくれもなく、無理やりムシリ取ろうと
する悪魔的な姿勢しか見えない。

このように酷税となってしまえば、かつて「百姓と菜種油は絞れば絞るほど出る」と言った、かの家康の論理と変わらな
い。しかし当時でさえ一揆は増加しなかった。増加したのは境界争いや水争いである。年貢は水田に対してであり、山
や畑にはそれほど掛けなかったのです。

ですから税の比率が「五公五民」が原則と言っても、実質其の半分だったろう。口分田による条里制や班田収受法の
時代は実質1/9(1.1割)であり、其の場合でもお上から誰もが一定の水田を一生涯、与えられての税率だった。鎌
倉・室町時代には徳政令一揆と言うのも頻発した。

でも其れは増税ではなくて「借金棒引き願い」と言う一揆だった。其の後、秀吉による太閤検地では確かに領地が狭め
られ、税率も実質2/3に上がった。でも其れは米作地(水田)だけの話だ。所が今は全て自分で買った上で諸税を払
うが、年金・保険も入れれば実質6割の負担である。此れは、先進各国の中では比類ない高率酷税である。

尤も、遊牧民族の多い地域や人口動態の良く掴めない国々では消費税が高いが、日本のように殆ど定住者ばかりの
国では固定資産税や所得税だけで十分なのだ。所が毎回何処でも「北欧では何パーセントだ」などと言う渡来患者の
アホナ妖言が飛び交って人々を惑わすので注意すべきだ。祭事の前提として元々神が有った。

であれば今でも神が無くては祭り事とは言えない。所が、今の祭り事には神ではなくてヤカラ(輩)しかいない。無知で
無謀な輩が其の政府に君臨、または巣食って牛耳る国にして、税金に群がる蛆虫とか、もしくはハゲタカと同類の彼ら
が国民の上に立ち、法令を決めたり教育する資格は無いのであるが、口だけは旨い。

よって単なる「タカリ構造」を「祭り事」と詐称して完全な利権体質構造を完成させたのである。このようなアホで無能な
政府を国民は黙って担ぎ上げ、選挙戦に駆り出され、更に高額納税で下支えして来た。其の点で小泉内閣は此れま
で、「国民と共に痛みを分かち合う」と言って来たが何時まで待っても結果は逆だった。

言った以上は、国が先ず痛みとしてリストラをするなら分かるし、それなら国民も協力しようとした。けれども国は怠慢
のままで、保身でしか動かない高給取り・公務員が居座っている。更に、増税と「貸し剥がし」で市中からかき集めた円
を米国経済と軍事に協力する形で貢ぎ続け、或いはボロ「ドル買い」と米国債に横流し続けた。

其の為、年金改悪を無理やり断行し、しかもドサクサの中で多国籍軍への参加を決定した(04/6月)。此れでは国民に
対する裏切り行為であり、国民だけが尚も痛み続ける構図であり、多くの国民を離反させる。のみならず国民を守るの
ではなくてイラクなどへの海外派兵をしたが、此れは防衛ではなくて何れ亡国的行為となるだろう。

このように「お上」と言っても神も仏心も道理もなくなった現政府に対し、利権に群がる関係者とお人よし以外は背を向
けるだろうが、小泉支持率は依然40%を越える以上、増税と軍拡は容易く、従って亡国は目前と知れよう。だから外
国からは「日本国民はアホだ」、と見られているし、少なくとも「日本人はお人よし」と見られている。

ただ困った事に「お人よし日本人」はみな政府が好きだ。だから恐らく、今の政府がパンクし、一挙に亡国となった時に
やっと政府の欺瞞に気付くのだろうか。因みに財務省の発表した1995→2005年のデータを注記する。国の残債297→
602兆円、地方は125→205兆円、国・地合計410→774兆円。此れが対GDP比で82%→151%になる。

と言うものだ(しかしその後、1000兆円になる事がハッキリして来た)。

其処から次に料金アップの算定をする訳だが、04→2025年の厚労省の試算(兆円)を見れば、税金等公費負担が26
→59兆円に、年金が8→14に、医療費が10→28に、福祉が8→17に、保険料が52→96に、年金が30→51に、
医療費が16→31に、福祉が6→14になり、合計で78→155兆円になる。

以上のように正に無謀な試案を出した。此れは、毎年四月には5割アップで年間20兆円づつの大増税ラッシュとする
ものです。其れに関してこの程(05/4/10)、「税高くして国亡ぶ」と言う渡部昇一教授(上智大)の本がワック出版から出
された。「日本は一律一割税で充分にやっていける」と言うのです。

所が財政審(会長・西室泰三・東芝会長)は05/5/16日、「増税不可避」を強調し、消費税を約19%に引き上げる必要
があると指摘した。此れでは国民の代表ではなくて、無能な政府の代弁であり、「太鼓持ち」と云われても仕方なかろ
う。特に05年の自民圧勝から、より一層増税の動きが活発化して来た。

直ぐに増税を言い出すような議員を選んだ国民がアホだった。口の旨い道楽息子が親(国民)を騙し続けて金をせびる
ような政府となった以上、親は「とっとと出て行け!」と勘当すべきである(偽装社会を参照)。

■造替遷宮・・・・・・・・伊勢神宮では二十年に一度の「式年遷宮」を繰り返して来ました。でも此れは遷宮ではなくて造
り替えのための遷座である。

葬式・・・・・・無関心で居ても必ず世話になるのが葬式です。とすればある程度覚悟して早めに設計図を描いて置き
たい。と言っても葬式は昔から極めて保守的で定型化しているため参列者は退屈である。其処で貴方が男ならば「先
に往って良い席取って待っといてやるからなー、早く来いよー」と言うメッセージでも残して元気に旅立ちたいものです。

また女性ならば、皆さんを如何に沢山泣かすか考えて置けば死去もまた楽しみではないか。大昔は泣き女(別項参照)
が定番でしたが、つくり号泣よりも今なら差し詰め「母さんが夜なべをして・・・」のメロディなんかどうでしょうか。ドラマチ
ックな映像でもあれば尚効果抜群かと。このあと演出が楽しみです。

以下、Yahoo!知恵袋 - アラート「自分の葬式」から引用する。---自分の葬式 ----みなさんは、たった今自分が死んで
しまった場合、何人くらいの人がその葬式に来てくれると思いますか?ふざけた回答は募集していません。環境によっ
てさまざまだと思うのでできれば内訳(親類何人、職場何人、、、など)を添えいただけると嬉しいです。

妙な質問で申し訳ないですが、よろしくお願いします。 ----「ベストアンサーの答」前の方と同じ答えです。男女とか若
年と高齢の場合とかで差はありますが平均的に200人くらいと聞きます。ご心配ならご両親などの焼香記録などを調べ
て、我が身の場合を書き出して置くのが良いでしょう。

そうすれば万一の時にご遺族が慌てず200人に弔事を連絡出来ます。ただ人は平均的に、生涯200人と付き合い、ま
た200の葬儀に参列する。其の結果としてまたご本人にも200人の参列者があるとも聞きます(onia)。

・・・・人は例外なく死にますので、虚栄や虚礼で年賀状を無理して出し続けるよりも、家系(特に親族)図を作成したり、
親族友人近隣の葬式にはなるべく参列して時々の義理を果し、また焼香順位を作って置いたり、身辺の整理をしたほ
うがいいでしょうね。

装蹄師・・・・・・・馬の蹄(ひづめ)に蹄鉄を打つ人。今では軍馬も農馬もなくなったので普通の町には見られないが、
昔は至る所で活躍した。馬の見方から鍛冶作業までかなり深い経験を要する。

葬法・・・・・・人が死去した場合は、故人が生前から信仰して来た神仏の元に周りの人達が送り届けて上げるようと
する弔いの儀礼であり、人間的で実に優しく貴い行為です。或いは信仰の自由ではなく、先祖から引き継いだ檀家寺、
もしくは地域社会の風習に従って各々違う葬法をする例も多い。

それらは極めて保守的な葬儀であり、原則として古来、日本は土葬で土に戻して来た。その地面は太陽の光を満面で
受け止める高台に設えられた。其れに対してシナ大陸の月族は水に流す散骨・風葬により、天の月に送り返そうとし、
またインドから西側の星族は荼毘にふして、炎の力で天の星に上げようとした(詳しくは「祓い」を参照)。

騒霊・・・・・・騒がしい霊(ポルターガイスト)の事。外国映画などでは此の種の恐怖体験が屡映像で演じられる。た
だ外国には多いが日本には少なかった。騒霊はまだ生きていると誤解している霊であり、或いは死んだときの恐怖と
憎しみとが混在している。

或いは体を切られた時の苦しみと痛みが何百年も癒されずに特定の場所に刻み残している場合に時として現れる。そ
の影響は辺り一帯に及び、其処に住んでいる人たちの個人のカルマや家のカルマと相乗して作用し、或いは増幅し
て、更には歪んだ現象として現れる。

また此の霊に乗り移られた人は自閉症のようになって、客観的にどのような状態かを正しく見る事が出来ずに、心が不
自由な状態のまま感情的に物をぶつけたり大音響を発したりする。最近の子供たちに落着きがなくなって来たのもそ
の種の仕業か。

即身成仏・・・・・・・天台宗と真言宗の中には顕教と密教とが有り、これ等を台蜜と真蜜とも言う。仏教の教えは死
後に仏になるよりも生きてこの世にいる間に仏になる事を説いた。ですから出来れば死後より生前に悟りを得るのが
望ましい。このため生きながら仏となるよう厳しい修行をして「即身成仏」を目指した。

其の方法にも凡そ三種があり、精神的に成仏するか、もしくは肉体的な歓喜をもって悟りを得て成仏する。このため時
には呪術を使い、或いは肉体的・本能的な歓喜の極致・満足を以って極楽浄土の世界へ到達出来ると考えたのが真
言立川流とも言われる。

或いは堂に籠もって静かに成仏するか、それとも観音浄土を目指して補陀洛渡海を決行したのが出羽三山や熊野で
ある。この内の何れでも修行を積んだ高僧ならば成仏できると考えた。また日頃、そのように教えられた弟子たちは、
師匠が目の前で模範を示し具現して見せてくれる事を望んだに違いない。

そこで例えば老いた高僧が何時までも長生きされると弟子たちが困るので、「もうそろそろどうですか」と肩たたきした
に違いない。こうして花道を飾って姥捨て山に送り込んだ。此れは憶測だが老害を老廃しようと公然と排除する手段と
して使った節がある。公家が政敵を遣唐使船と言う当時最も危険な航海に送り出したのも同じ動機であろう。

東北から出るミイラは凄い形相のミイラとなって、死の恐怖と苦しみを今の我々に訴えている。此れを見る限り、彼らは
決して高邁な理想の極致に達したものとは思えないのです(「死後」、「密教」、「フダラク渡海」を参照)。

足相(足裏)・・・・・・足の相。生体は生理学や医学的に解明できているのではなくて、何も分かってはいない。顔に
は人相、足には耳には耳相、足には足相がある。其れを占いで判定する方法として、東洋医学では図示して来たし、
経験則として健康維持と鍼灸治療に実践して来た実績がある。では占いで分かるかと言えば其れだけでは無理。

両足を揃えて裏を見れば、中心部が胃になる。其れを別紙の円系図と重ねれば先祖環と重なる。円系図は肉体の設
計図である。設計図と違う生き方をしていれば、先祖が警告を発し、肉体はストレスを起こし、ストライキを始める。其れ
を医学的には病気と言う。しかし、医学的に病名を付けても中々治せない。其れは元の病理を知らないからである。

特に西洋医学は分類医学であるため健康管理に役に立たない。生体は全体が連関していて、内臓が手のひらにも足
裏にも繋がっている。其れを西洋医学は生体をブツブツ切るように内臓は内臓だけ、解剖したパーツとして見るから治
療にならないのです。因みに中心軸の胃は自分の位置。

つまり胃の病に限って言えば、其処は原因が先祖のせいではなくて、自分の不摂生からです。無論、その逆もまた真な
り。健康なら云う事なし。必要以上に心配すれば取り越し苦労で害になるだけ。

ソグド人・・・・・・・・イラン系の商業民族。大陸ではローマ帝国と漢と言う二大帝國が栄え、その間を通るシルクロ
ードには大月氏、匈奴、西域があり、特にパルティア王国が邪魔していた。北方及び西方の異民族をシナでは胡人、即
ち「エビス」とし、漢の時代にはパルティアを安息国と記している。

其れがアーリア人や北方、西域に住む異民族(戎てきや胡人)であり、彼等をシナでは未開な「エビス」と見て来た。
だが西のローマ帝国からシルクロードを通って東の漢に胡弓、胡麻(ゴマ)、胡椒、胡桃(クルミ)、胡酒(葡萄酒)、胡瓜
(キュウリ)、胡馬(コバ)を伝えたのがアーリア人たちだった。

其の後、4cから8cになるとアーリア人たちに代わってシルクロードを支配したのがソグド人である。彼らはシルクロード
で4cからソグド文字を使っていた。この文字が東西交易の架け橋になっていた。ソグド人は今のアラル海のソグティア
ナが故郷である。サマルカンドに近いデンジケント遺跡には日干し煉瓦で造った集落跡がある。

彼らは当初貧しかった。オアシスは有っても木や石がないので土の中に住んだ。彼らはやがて砂漠の中のオアシスとし
てのタジキスタンからウズベキスタンを中心にシナのトルファンに掛けてシルクロードを担う商業民族として活躍し、7〜
8cに栄えた。トルファンは駱駝のキャラバンが集散する拠点だった。

トルファンは唐の時代に最大の交易都市になった。彼らにはソグド文字があった。此れは横文字でありAd.4cからシ
ルクロードで広く使われた。例えば316年頃の手紙には唐から3000kmも離れた所に「洛陽が遊牧民族による攻撃で炎
上した」と知らせている。Ad7c〜8cにはソグド文字が広く使われて交易の柱になっていた。

彼らは隋や唐の発展に大きく寄与し、唐の長安は100万の人口の国際都市となり、西域の風俗(衣装・料理)が流行し
た。彼らはシナでは漢字で出身地により、プハラ(ブハラ)出は「安」、タシケント出は「石」、サマルカンド出は「庚」と言う
姓を名乗った。

西にはローマ帝国があり、其処から東にはイスラム帝国、そして更に東には唐(長安)がある中で、其の間をシルクロ
ードで繋いで交易し栄えた。彼らは1400年前、唐の長安の都の西市(西安市)に出入りした西域人である。彼らはシ
ルクロードに中継点を持って交易していたゾロアスター教徒だった。

シナでは当時100万都市の西安の頃、西域のソグド人を胡人・商胡と呼び、漢字では栗弋(リツヨク)国、粟特国とも書
いた。日本からは遣唐使船が西安に向かい、ヨーロッパではカール大帝がローマ皇帝となり、西域ではイスラム教が拡
大していた。唐は漢時代から漢字を駆使し、唐の時代は律令で栄えた。律とは刑法、令とは行政法でした。

だが唐はやがて751年にタラス川の戦いでイスラムに大敗し、紙透きの職人が捕虜となって8cには製紙技術が流失し、
また玄宗の時の胡人による安史の乱(757年の安禄山)の戦いから内乱になり、唐が衰退するにつれてソグド人も衰退
してイスラム化して行く。日本では凡そ奈良、正倉院の時代でした(05/5/16、06/5/15のNHK教育TVより引用)。

■測量器具・・・・・・古代の測量器具としては史記にも有るが、日本ではモヒトリ(鏡などの水平器)、ミズモリ(水準器)、
規(円を描き、角度を測る器具)、ブンマワシ(矩と書くがV型のコンパス、または曲尺=差し金の事)があった。其れに墨
縄(糸を墨つぼに入れて墨で直線を印す器具)等が使われていた事が分かる。

また丹波の大田五号墳から近年出土した青龍三年鏡にはVTLの記号を刻み込んであった。この場合のVは上記の
鏡、またはブンマワシ、TはT定規、Lは矩(曲尺)を意味したものと推定出来る(尺、及びDRを参照)。

組織・・・・・・組織には肉体的な組織細胞や社会の中の人の組織、会社組織などが有る。何れも有機的な存在で
す。其処で例えば「存続性」と「発展性」の何れが大事でしょうか。人の組織については誰もが会社や組織の拡大・発展
を願う。だが組織が拡大・膨張すれば、その人の存在感は相対的に薄まり埋没して行くものである。

譬え自分が頑張って後輩たちを育てて、其処がもし立派に発展すれば反比例して自分の立場がなくなり、或いは影が
薄まり、退職後はもう忘れられる。退職後にも会社が残り、輸血のような買収や合併で倒産を免れて存続出来ていたと
しても、其処はもう他人の社会です。とすればそれに生涯を賭けられた時代は去ったようです。

素数・・・・・・1,3,5,7,11,13,17,19,23,29,31,,,,,などの正数。つまり算術では割り切れない数で
あるが、この様な素数列は一定の等比数列にあり、つまり放物線を描くので、此れが植物の成長するパターンかとも思
われる。

卒塔婆・・・・・・・卒塔婆はサンスクリット語のスツーパに漢字を当て字した言葉であり、仏舎利塔、即ちお釈迦様の
お骨を納めた塔と解説されて来た。とは言え、全国には卒塔婆とか塔婆、或いは舎利塔などが無数にある。

お釈迦様が如何に偉大だったにせよ、其れほど分散出来る量が有るとは考えられないから、こうした塔は要するに特
定の故人や僧都のお骨を納骨した印の場であると解釈すべきである。地下に納骨した場合は其の上に塔や仏堂が建
てられ、やがて建替えられる。或いは古い順から文化財に指定される。其の場合にはかなり注意しなければならない。

ウワ物よりも下物をどう処理したかである。上下一体で初めて意味があるのですが、大抵は下物には誰も関心を払わ
ないでウワ物だけを移動して他の所に保管するような所業を平気でするからです。誰もが建物や仏像には関心が高く、
此れに費用を掛ける。

ウワ物には宝筺きょう印塔・法界塔・供養塔とか五輪塔などの石塔や地蔵の場合も有るが、墓地で重要なのは骨であり、
其の意味を本末転倒で取り違えては何にもならないのみならず、譬え上の物を修復したとしても「破壊」なのです。特に
方位や地理への配慮もない場合は、当然下物は切り離される。考古学が犯す罪は此処に有る。

その地下には誰かのお骨があり、或いは石櫃や経筒、其れに独鈷や数珠、法具、巻物、経巻、鎮壇具、二枚貝か瓦
器(土器)などが納められているから、物を取り出して解釈して譬え「文化財」に指定したとしても大罪であると言うので
す。

▲ソドムとゴモラ・・・・・・・・旧約(創世記19)に出て来る都市で、退廃により淫乱と悪徳から、神の怒りによって何れも天
の炎で滅ぼされたと言う。ゴモラはヨルダンの都市だった。

ソバ・・・・・ソバは水利を要する稲作と違って日本古来の畑作作物であり、山間部の多い日本には適した作物で
す。次にメルマガから『 ソバによる環境浄化 』から引用しますと、鉛による土壌汚染対策として「ソバ」が注目されてい
ます。射撃場では鉛散弾による土壌汚染が問題となるケースが増えています。

対策として、鉛玉を分離・回収する方法はいくつかありますが、鉛玉を除去しただけでは、土壌中の鉛含有量を環境基
準以下まで処理する事はなかなか難しい状況です。こうした中で、鉛などの重金属汚染土壌を植物を使用して浄化す
るファイトレメディエーションの研究が進められています。

そして、岐阜県多治見市の市営総合射撃場跡地での実験では植物の中ではソバが最も有効だったことが報告されて
います。ソバやケナフなど20種以上を植え、茎や葉の鉛含有量を調べたところ、収穫量1キロ当たりケナフ80ミリグラ
ム、ひまわり90ミリグラム、鉛分を多く吸収すると言われるセイヨウカラシナでも180ミリグラム。

これに対し、信州大の品種改良で太い茎などが特徴の「信州大蕎麦」は6120ミリグラム、一般的なソバでも1900ミリ
グラムでした。土壌1平方メートル当たり3千ミリグラムの鉛を吸着したことになります。ソバはタデ科の1年草植物で、
荒れ地でも育ち、年に2回収穫できます。

多額の浄化費用が必要とされる土壌汚染対策の中で、植物を活用した工法は、浄化に時間はかかりますが、安価な
工法として実用化が期待されます。<参考資料>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050419-00000008-cnc-l21http:
//headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050419-00000016-mailo-l21

回収後のソバは、焼却処理などを行う必要があるわけですが、ファイトレメディエーション数年前から注目されている技
術です(このファイトは「ファイト! 一発!!」のファイトではありません。)ただ、環境浄化を事業として請け負う立場と
しては、浄化期間が長く、終了の見通しが立たない工法は提案しにくかったりします。

ソフト面の開発も重要となりそうです。以上、http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/メルマガ■30秒で読む環境情報!より
一部転載。

▲ソヒ・・・・・・・・
▲祖父母・・・・・・・・
▲ソへ・・・・・・・・

▲ソホ・・・・・・・・
▲ソマ・・・・・・・・

ソマリア紛争・・・・・・・・アフリカの1国。人口823万人の9割以上がイスラム教徒。英国とイタリアの分割統治から60
年に独立。91年に社会主義政権が崩壊した後、武装勢力の乱立による無政府状態が続いて来た。04年10月には主な
勢力の選挙により、隣国ケニアで暫定政府が発足した。

だが反発するイスラム勢力「イスラム法廷連合」は06年6月に首都モガディシオを制圧し、奪還を目差す暫定政府側と
の対立が激化。026/12月24日には暫定政府を支援するエチオピアが本格的な軍事介入を始めた(06/12/29朝日)。

素粒子・・・・・・物質は分子、原子、電子と小さくなって、電子になるともうそれ以上は再分割できなくなる。此れを素
粒子と言う。或いは高エネルギー粒子であるためスーパー宇宙線とも言う。アインシュタインが1905年に特殊相対性理
論を唱えて以来、今の量子力学に発展したが、彼は「エネルギーが質量と等価である」と考えた。

しかし現代の量子力学は微細な宇宙線が何れも高いエネルギーを持っている事が次々分かって来た。つまりアインシ
ュタインの理論では矛盾する事がハッキリして来た。例えば東大が90年から山梨・北杜市のAGASAで観測を始めて13
年で11ヶの宇宙線を見つけたが、米国ユタ大学では発見できなかった。

其の決着をつけようと今、TAテレスコープ・アレイ)を建設中。
素粒子の種類はミュー粒子やタウ粒子なども電子などの仲間としてレプトンと呼ぶが、素粒子としては外にもニュートリ
ノやクォークがあって、其のうちのニュートリノは質量が略ゼロである。

ニュートリノはクォーク3個が結びついたものとされ、u、c、t、d、s、bが確認されている。04年にはクォーク3個を結び
つける「強い力」を理論化したデビット・グロス教授がノーベル物理学賞となった。

素粒子学ではクォークと反クォークと言う複合的なメソン(中間子)が有るとし、また3個のメソン複合粒子をバリオン
(重粒子)と見ている外、メソンとバリオンを含めてハドロンと呼んでいる。他方では、全ての素粒子と質量、寿命、スピ
ンが同じで、電荷だけが逆の「反粒子」が存在するとしている。

このようにレプトン、ニュートリノ、クォークの何れの実態も粒子と考えている点が問題(実際は波動であろう)である。こ
のためスーパーカミオカンデを作った小柴昌俊先生が02年にノーベル賞を受けたのは喜ばしい。ただ、巨大な粒子加
速器を使った実験は今、壁に当たっている。

此処に至ったのは、アインシュタインのM(質量)が、E=Mc2乗(エネルギー保存則)と言う算式から既に間違っていた
からではないか。つまり、ニュートンの「万有引力の法則」に従って、エネルギーの量は「質量と速度(2乗)である」、とし
たからである。其の点でニュートリノは、そうした科学理論とは相反する姿を現実に見せ付けている。

特にスーパー宇宙線の場合は、「10の20乗・電子ボルト」を超えるので、一般的な宇宙線の数兆倍のエネルギーがあ
る。地上の観測数値から宇宙空間のエネルギー値を逆算すれば1kgの重りを1.6m以上の高さから落とす力に匹敵する
(数値は06/2/15の朝日新聞記事より)。

但しエネルギー値の大きい宇宙線は1平方km当たり1世紀に1ヶくらいしか届かない。このためこの観測には広い場所
が必要となる。何れにせよ実際の宇宙も自然界も、ニュートンやアインシュタインが言った事とは違っていた。

ニュートリノが示している通り、巨大な質量をもったものよりも実に微細な存在が神のようにこの世界に遍満して大きく
働き、全てを支配していたのです。其のニュートリノは私たちの体にもシャワーのように何時も(100ヶ/s)降り注いでい
る。因みにこのニュートリノは太陽からだけ飛んで来るのではなくて、近くの原子炉でも発生し放射しています。

・・・・・・天。漢字ではウルエと縦に書いて「クウ」と読む。日本語のソラはソーラーの語源ではなかったか。

ソーラー・・・・・・ギリシャ語のソーラー(太陽)が英語の「太陽の」となり、そして今の日本ではでは「太陽熱」と理解さ
れている(発電については『 太陽電池の普及に向けて 』「太陽熱発電所」を参照)。

ソーラーカー・・・・・・日本は資源に乏しい反面、古来「太陽を祭る」国であり、知恵を出す人に恵まれている。特に太
陽に関心が高い人が多く、ソーラー発電やエコカーで技術的にも世界のトップをリードしている。

石油エネルギーは既に埋蔵量に限界がある上、中国の発展によって今後は更に石油事情が逼迫するのに対して、ソ
ーラーカーは、石油を使わず無公害であるから今後益々重要である。04年・ギリシャのレースでは関西の芦屋大学と
大阪産業大学がダントツで一位・二位となった。

ソロ・・・・・・イタリア語で独奏、独唱家。

ゾロアスター教(拝火教)・・・・・・・火は人の煩悩を焼き尽くし、穢れを祓って人の暮らしを守る。そうした信仰から炎
を崇める仏教以前の古くからの信教であり、例えば中央アジアの遊牧・騎馬民族のクシャン人がいた。

また春の炎の祭典として松明を焚く東大寺の「お水取り」や各地の火祭りもこのゾロアスターの影響を受けたものとも言
われる(拝火教を参照)。

★そん・・・・・・・

孫子の兵法・・・・・・・6c〜5cの斉の孫武の残した兵法書。仁義を重んじた戦法には優れた点があり、楠氏が此れ
に習ったとも言われるが敵に手の内を見せる筈はない。何れにせよ孫子の名文句に「敵を知り、己を知れば百戦危う
からず」が有る。至極尤もな論理であるが、非現実で実行できない話であるから実際上、役に立たない。

大日本帝国陸軍の「作戦要務令」は此の孫子の兵法から編集したものだったが、実際惨敗を見た通りである。





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