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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page195.html (未定稿)


日知り事典   ケル〜健康

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言語〜権力
言語〜権力

 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
●ける● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★▲◆★

◆ける・・・・・・・

●ゲル・・・・・・・・モンゴルが伝統的に使って来た円形組立て住居。パオとも言う。何れも簡単にバラして荷車一台に積
んで移動出来るし、屋根の骨組みは槍になる。そして再び1時間で組立てられるので機動的で行動が早くなり、このた
め13cに世界最大のモンゴル帝国を築き上げたと言われる。つまり騎馬民族の軍用宿舎。

ケルト・・・・・・古代ヨーロッパに住み、前7cはライン川にいてゲルマンの圧迫を受けたため各地に移住した。今
のチェコ、ハンガリー、ギリシャ、トルコにも足跡を残している。またケルトとクレタとは音の響きが似ている。ともあれケ
ルトは勇猛な騎馬民族で鉄器を普及させた。

ローマのカエサルが前50年にケルト人と戦った物語が「ガリア戦記」であり、ガリアと言うのは北イタリア、フランス、ベ
ルギーにいたケルト人の国の事だった。

イギリスではケルトの司令官でアーサーと言う英雄が出たが、後にノルマン王朝が出来た時に彼を王にした。其の血筋
がノルマン王朝であるとするため彼を伝説の王に仕立て上げたと言われる。そんな事からイギリスではアーサー王伝
説が今も人気が高い(イギリス人の心の古里)。

また後に、イギリスからアングロサクソンに追われてフランスのブルターニュ地方に逃れて定住したケルト族も有る。ブ
ルターニュとは「小さなブルタニヤ」と言う意味で付けられた地名であり、此処にもアーサー王の伝説が生きていて「魔
法の森のブルターニュの森」が有る。この森の薬草を巧みに利用出来た人が「魔法使い」と呼ばれた。

例えばサンザシの木から「惚れ薬」を作ったり、宿り木の実の粘々で「のり」にした。宿り木は「生命のシンボル」でした。
そしてヒイラギはクリスマス・リースに使った。ケルトのシンボルとしてケルトの十字架があるが、此れは円形にクロスの
形をしたものです。円形はケルトが好む形として他にも色々のモニュメントにしている。

また例えば先のクリスマス・リースが丸い。クリスマスはケルトが太陽の復活再生を祈る祭りをキリスト教の祭りに採り
入れものであり、そのリースは日本の茅の輪やお正月にある伊勢・神島のゲーター祭りのシンボルと似ています。また
日本の相撲と同様に彼らは4cから丸い土俵を築いて其の上で裸で戦っていた。

そして欧米で盛んになったハロウィンの祭りも、元はと言えばケルトの先祖祭りであり、日本のお盆に相当するものでし
た。次に教会では必ず太陽のシンボルとして今は車輪の形を掲げているが、此れは太陽が時を刻む時計である事を
意味した。それに彼らは金属を加工して車輪を作った。金属の輪の付いた車輪はケルト人の発明品でした。

更にポゴと言うリンゴ酒を詰めるのに其れまでの素焼きの壷では重いし割れ易かったのでケルトが樽にした。金輪を嵌
めた樽を発明したので、此れが以後、広く交易に使われる事となった(この項の一部はMBSテレビ、05/1/15より引用
した)。

◆ケレ・・・・・・・
◆ケロ・・・・・・・

◆ケワ・・・・・・・
◆ケヲ・・・・・・・

・・・・・県をケン、訓ではアガタとかカケルとも読む。会意形声文字。昔の字は右に糸の字を付けた。何れにせよ
「首を木に逆さに掛けた(吊るした)形」、つまり処刑と解釈するが誤解である。県は昔から行政区画の単位だった。つ
まり朝廷の料地・領地であり、地方官にとっては任地だった。

当然ながら地方官は赴任して直ぐに一定の規格で測量して県の境界を測量・確認する事になる。其の面積当りの収穫
が税金の額になったからです。よって目を凝らせた。王の決めたノーマルな尺度を基準として糸や縄張りを決めた(尺・
笏を参照)。目とは尺木であり、尺木は地平線に立てた。其の下に小の字を付けたのは日影の長さと角度である。

つまり遊牧の国とか野盗の跋扈する単なる山野ではなくて、特定の諸侯の管理する、天文観測と測量に基づいた行政
区画である事を明示した文字でした(目、貝、県を参照)。だから「直や省」とも此の「県」の字が関係するのだ。

★剣・・・・・・古代の剣については「三種の神器」や「鉾」を参照。武士は剣士であり、大小二刀を腰にさして行動した。
何故重たい剣を二本も挿していたのかと言えば、大は主君の命令であれば敵と戦うためであり、小は自分の潔白が疑
われた場合に切腹するためでした。武士は、自分の行動や務めに責任を負い、それだけの覚悟をしていた訳です。

とすれば今の公務員にも権力と共に小刀を与えてはどうか。

・・・・・・モンゴルにジンギスカンが出て以来、其の孫のフビライがシナの宋を滅ぼして建てた国(元以前は「シナ」
を参照)。首都は大都(今の北京)。フビライは高麗、吐蕃を下し、東欧諸国を侵害し、安南、ビルマ、タイなどを服属さ
せて東洋史上、無比の大国となった。だが10帝で1368年、漢民族の明祖の朱元璋に滅ぼされる。

元の通信手段は優れた駅伝(ジャムチ)によって東西を駆け抜けた事である。此処ではパイザと言う通行手形により、
国境を通過させた。また1280年には郭主敬が簡儀と言う天文儀により授時暦を作った。此れは今のグレゴリオ暦が
出来る300年前に既に1年365日24’25”を割り出したものである。

公用語はモンゴル語。文字は漢字ではなくてパスパ文字を作って使った。陶磁器では南宋の景徳鎮を受け継いだが、
元の陶磁器は青花(コバルト)を使った青い絵柄が特徴。青花と言う青の釉薬を輸入して独特の陶磁器を作って一層
発展させた。歌舞は元曲を元に演劇が発展した。

当時は元が西域西洋文化を採り入れたのに対して、漢民族が圧迫された。科挙からも外された漢人が零落したが才
人と呼ばれ、漢字や南宋画を残し、中華の伝統を守った。

元は遊牧民であり、星族(別項を参照)なので、短期間に武力と機動力で世界制覇できた。軍隊は階級社会である。フ
ビライ以来、身分制度が4階級の内、モンゴル人第一主義とした。だがモンゴル人は1%であり、第四ランクの南人が
人口の85%を占めた。第二位は色目人(西域以西のイスラム教徒や西洋人)であり、徴税など官吏として使われた。

第三位が漢人であった。元は国内に多数を占める漢人を蔑視し、その上に1%の北方民族(モンゴリアン)が上から抑
え付けた。だからやがて政変となる。紅巾の乱を経て漢民族の明が誕生したのである。ただ元の名は、元が銀経済で
栄えた名残からか今もシナと韓国の貨幣の単位として残る。

元は陸海の交易路を広げるため各国の通行税を廃して売上税に切り替えた。元は西アジアの国に銀をプレゼントし
た。西アジア各国は其の銀元に生糸や陶磁器を注文したので銀経済圏が拡大した。だが次第に銀銭も不足し、尽きて
来るとやがて紙幣(交鈔)に切り替えた(其の後に大量の銀がアメリカや日本から産出する)。

だが交鈔も最後は紙屑同然となり、反乱の中から明が出た。1368年に明国の建国。
元では14C〜15Cに銅銭から銀銭へ切り替えていた(以上の一部は05/7/11、及び11/24〜25のNHK教育TVより引
用)ので、銅銭は言わば銅屑であった。

日本は元寇に悩まされて鎌倉幕府が倒れ、長い南北朝時代の内乱を経て室町時代になったが、義満が明から其の屑
を得るため貴重な黄金・銀・織物を出して買い込んだ。敗戦国日本が現在、米ドルや国債を大量に買い込んでいるの
と同じ構図である。


嫌煙ブームはエゴと偽善の産物・・・・・・・東京都と大阪市の禁煙に続いて韓国には07/4/2に禁煙村が出来まし
た。此れは目出度い事だろうか。嫌煙権は実は、感情的な観念です。「喫煙は有害である」と決めて嫌い、此れを他人
に権利として主張・強要するものです。

好き嫌いは人間の属性ですから愛煙か嫌煙かについて、とやかく言いたくはないが、一方的に嫌煙権を振り回してしま
えば世間がギスギスします。

世の中には大きな問題を一人で引き受けたり精神的に深刻な悩みを抱えたり、3Kなど、タバコでも吸っていないとやっ
てられないシンドイ仕事や疲れる仕事も結構多いのです。医学的には染色体の内、p53の働きを破壊するので癌細胞
を増殖する危険性が有る。従って喫煙者は普通の人よりも其の危険性が2〜4倍になると言う。

しかし譬え「肺癌になる」と脅されたって、明日の命よりも今の心と体のシンドサを煙に巻きたいと思う人も多い。それで
も嫌煙権の横行でトラブル多発とならないのは、愛煙家が忍従・自粛しているからと思うのですよ。其れを良い事に、嫌
煙権者の増長傾向が益々目に余り、彼らだけが異常に正義ヅラする今の傾向は正常ではない。

やや横暴な風潮であります。此れでは社会の公正さがなくなると思う。好きな恋人に接近するのは楽しいけれど、電車
の混雑の中で、嫌いなタイプの人に近づかれたらバイ菌だらけのように思えて嫌悪感がするとしたら科学的とは言えな
い。其れは好き嫌いの問題です。

好き嫌いならば理屈ではないし、社会的な権利や義務と言った法律行為とは馴染まないものです。其れでも神経質
に、受動喫煙等と言って毛嫌いすれば人間性を疑われ、嫌われる人になりますから喫煙者を見ても我慢すべきです。
タバコで死んだと言う因果関係は医学的にもハッキリ証明された訳ではない。

だが今は「嫌煙権」を言えば、他人を黙らせる事が出来る。「この紋所が目に入らぬか」とばかり、正義の側に立てると
勘違いしているバカドモが増えましたが、それは「平家でなければ人に非ず」とか、キリスト教以外はサタン(悪魔)と考
えるのと同じ、良くない事ですし、一神教と同じ危険な観念です。

気に入らないヤツを取り囲んで、「そうだ、そうだ」と多数決で「バイ菌」のように排除し、時には土下座させるのは気持
良いかも知れない。其れも鬱憤晴らしの一時の快楽にはなるだろう。でも喫煙者はバイ菌でも犬や猫の糞でもない。犬
や猫の飼い主はウンコを撒き散らして平気で、しかも無税の特権者である。

其れに対して喫煙者は別にタバコ消費税を支払っている特別納税者である。言わば罰金税を既に払っているのだ。
さて喫煙者は愛煙家ですが、動物は本能的に煙を嫌います。其の中にあって人類は何万年も、火を絶やさずに生き延
びて来ました。つまり人とケモノとを区分するのが火の力です。

その火は煙と一心同体であり、昔の暮らしは朝起きてから、夜寝た後も煙と共に過ごして来ました。其れが今は電化し
た。電化して進化したと思っています。しかし実は動物的に成りました。犬猿のように煙を嫌い、嫌煙権を主張し、他人
にケンエンを振りかざすケンエンは犬猿権かも知れない。犬猿から見れば煙は確かに「体に悪い」と心配する筈です。

彼らの体は毛物です。毛物が火に近づいたら毛が焼ける。鳥類も昆虫も焼け死ぬし、爬虫類や両生類でも干からびて
ミイラ(干物)になってしまう心配があります。だから「体に悪い」と心配して火煙を嫌って当然です。今の人たちは肉食
を重ねているうち、体質がとうとう動物と同化してしまっているのだ。

そうした中で、余り「嫌煙権」を言えば逆にお年寄りは別に逆らわないが、タバコを吸ってそうした動物系の人間を「犬
猿」類と見破る。だから我慢し給え。お年寄りたちは長生きして、中々死なないのを皆さんに見せています。一時の風
説に惑わされてはいけない。ヒトハ考える事です。

何も考えずに、他人が言うから其れを飲みにしてケンエン・ケンエンと吼えるのは恥ずべきです。
「嫌煙は何処か似ている犬猿と」・・・・・・と思う人もある。無闇に「嫌煙権」を主張すれば反論される。

社会正義とは公正さであり、公正さのない権利を云々しても相手にされない。次の問題は発癌性などの有害性を証明
出来てはいないのに有害と決め付ける点である。その様な仮説や架空の論理で権利を主張して其れで他人を拘束す
る根拠とするのは妥当性に欠けるので無論、法的拘束力も無い。

こうした無理ジイであっても「キライ!」と言えば、かの水戸黄門サマの「葵のご紋」のように、他人が「ハイ分かりまし
た」と従う現代社会では、此れも一種の快感になる。よって其れが流行病のように巷に蔓延した結果、既成事実化し、
其れが正義の仮面を被って暴れ回っている。

だが云わば嫌煙権とは、正義ではなくて感情的でエゴイスティックな観念が偽善的なブームになったものとも言える。此
れは人の理性と言うより寧ろ動物的な臭覚、もしくは動物霊に感染した人の観念と見る事も出来る。

先に述べた発がん性などの有害性の因果関係については、医学的に証明された訳でもなく、単に反対するための装
飾的な方便である。健康問題を云々するならば、寧ろ医薬品の副作用とか化粧品の被害の実態の方が多く、しかも有
害性が科学的に実証されている実例は枚挙に暇がないのです。

或いは合成洗剤や農薬、そして其れを下水ブレンドしている水道はどうか。間接喫煙よりも毎日飲む医薬品や直接体
に擦り付ける化粧品、或いは毎日大量に体内に入れている公害水道こそもっと有害である(別紙の「V屋根」を参照)。
其れに肺癌に限って見ても、喫煙よりラドン(別項参照)の被爆やアスベスト(別項参照)の方が多いのです。

ともあれ喫煙よりも口紅の有害性のほうが心配なので、モテル紳士諸君は彼女の毒々しいルージュを舐めないほうが
良いだろう。それでも喫煙の有害性の指摘を云々するならば、喫煙を続けた結果、長寿で健康な老人が多い事をどう
説明するのか。煙草は他方では、人の心を和ませてストレスを解消し、健康にする妙薬ともなっているに違いない。

事実、煙草を吸う人は皆、長寿を願ってもいないし健康を心配しもしない。とすれば如何に「喫煙は体に悪い」と吹き込
まれても「余計なお世話だ」と思っているだろう。であるから税金を払ってまで、喫煙者としての今の暮らし方を変えよう
とはしないのだ。

とすれば、其れなりに「立派 !」かも知れないが、でも他方では其れを嫌い、認めたくない人が多いのも事実ですから迷
惑を掛けた点は反省の必要があるでしょう。ともあれ、虚弱体質の人や神経質で病的な人は煙草を吸わないほうが安
心であろう、と言うなら分かる。

しかしただ煙が厭で他人に「やめて」と頼むのなら兎も角、煙に過剰反応して他に強制したり禁止するのは妥当性を欠
く行為です。人は各々好き嫌いがある以上、何をしても自由であるが、他人を拘束したり迷惑を掛ける行為は喫煙者で
あろうと嫌煙権者であろうと何れも問題であり、よって何れが「自由」で何れが「正義」でもない。

だから其れをお互いが他人にまで強要するのは社会を暗くするだけである。例えば「嫌煙権」は、肉食人種が魚食人
種に捕鯨禁止の正義感を押し付けるのと全く同質の暴論です。そもそも人類と動物との違いは、前述した通り、火を好
きか嫌いかであり、人類は恐らく一万年もの間、火と煙との共生を続けていた。

つまり火の利用が人類発展の秘訣だったかも知れない。だからつい最近までは、家の中心に囲炉裏を置くか、台所に
竈を造って主婦が火種を絶やさない工夫をして来ました。其の火には必ず煙が付きものであり、其れを年中、朝から晩
まで浴びて来たのが人類でした。よって人類の遺伝子や暮らしの中には煙が染みこんでいます。

ですが、近年は電化生活が主となり、火煙がすっかりなくなっただけの話です。其れは「人類の進化」による文化的な
暮らしの結果ではなくて、煙が嫌いで煙から逃げ回って来たケモノと同レベルに人類社会も変わったに過ぎないだけと
も言える。電化的な家の中に火種が無くなったと同時に子種も減って少子化となったのは実に皮肉です。

其の前に蛇の話をする。蛇は両生類であり、水の精であり、波の様にくねくねと動く。龍も蛇も酒が好きであり、嫌いな
のは火や鉄器である。従って蛇霊に取り憑かれた人間は見分けが付く。蛇は火と共にある煙を嫌う。特にヤニには硬
直化する。従って蛇に憑依された人もまた酒好きで横着になり、口先ばかりで手足が動き難い(胴体だけになる)。

また自分の体が生臭い(またはニンニク臭)のに気づかず他人に対して理性ではなく本能的に嫌煙権を主張・強要する
ようになります。社会の変化と共に人も変化した。其れまで喫煙者・愛煙家だった人が急に気が変わって禁煙家に転向
したケースも多い。彼は勝手に気が変わって仲間から脱落したに過ぎない。

所が彼は寝返って反対側に出た途端、正義漢ぶって今度は他人に「お前も止めろよ」と勧めるとしたら矢張り変です。
もう一つ言えば、嫌煙権者は嫌老性が見られる。両者は同じタイプの表裏・ワンセットではないか。或は愛妻家がやが
て心変わりして離婚した場合、他の既婚者に対して「早く別れなさい」と勧めるとしたらどうだろう。

或いは未婚者が「結婚は体に悪い、夫婦で一緒に暮らすのは見っともないから止めてくれとか、だから離婚すべきだ」
と言うとしたらどうだろうか。そんなアドバイスは恐らく、人格を疑われるだろうから気をつけたい。或いは更に、離婚者
が「離婚権」を持つとしたら実に面白いが、実際上、こうした考え方は社会的に容認されないでしょう。

嫌煙権も此れと同レベルではないのか。でもそんな変な理屈に日本人はすっかり振り回されています。彼らの「正義」
に従わなければ、「自己管理出来ない駄目なヤツ」と見下される立場になります。此れが嫌煙ブームの本質だ。ニワカ
禁煙家は、愛煙行為を途中で放棄した脱落者であり、言わば前科者か意志薄弱の裏切り者かも知れない。

所が逆に正義漢の側に変わったとすれば、彼は或いは偽善者かも知れません。バツイチの離婚経験者が他人に離婚
を勧めるとしたら此れは正義ではなくて寧ろ余計なお世話である。ともあれ今は、「体に良くないから」と言われて辞め
る人や、評判が良くないから、と臆病になってやめた人が増えたために喫煙ブームとなっている。

とすれば其れは社会正義と言うよりも自分の都合である。煙草が不味くなるほど病的であるなら、譬え煙草を止めても
不健康で病的である事に変わりは無く、多分禁煙したって不健康で短命となるのは変わりないだろう。

だけれども、更に車や部屋が臭くなるし汚れるからと言う苦情や冷たい視線に逆らえず、臆病になって転向したのは彼
の意志の弱さであって、科学的な根拠でも意志の強さでもなかろう。幽霊が怖くなった男に今更言うべき事はない。
元々煙と無縁な暮らしは人間的ではなく、文化的でもなくて不自然な暮らしです。

何れにせよ、禁煙者の理屈も、また嫌煙権者の感情も、何れも理性ではなくて感情的なエゴと言える。にも拘わらず嫌
煙を叫ぶ人たちは、喫煙行為を嫌う余り喫煙者だけ不当に差別視したり、或いは過剰反応して大声で人権とか被害者
意識の拳を振り上げる。だが、此れも行き過ぎた自己主張であり、社会を暗くした側面があります。

其れがまた社会的には不公平感を作った以上、大人気ない事でした。とすれば今の世間のこのブームは、不自然さと
この変な自己欺瞞とエゴの産物である訳です。だから嫌煙権は怪しい論理と言えよう(怪しい論理としては別項に「酒飲
みの論理」が有る)。

でもこうした無意味な空気に支配されたり、社会の嫌煙志向に便乗して、公正さの判断も出来ない欺瞞的なお役所流
儀や企業では禁煙の場を急増させた。

次は税制の問題だ。昭和の後半のJRがまだ国鉄と言われた時代に、国鉄の赤字を救うために煙草税を増税した事
が有った。その様な増税なら「国鉄の役に立つ」と言う意味があって楽しい。JRが今存続出来ているのもこうした愛煙
家たちの支援のお陰であると感謝されて良い。だが今は逆に「罰金」と言う性格にスリ変えられてしまった。

喫煙者はタバコ代金の半分を税金として払っているが、タバコよりももっと始末が悪いのはゴミの不法投棄や犬猫の糞
公害です。放置されたゴミや犬の鳴き声で近隣は迷惑を蒙り続けるが、彼らはゴミ税もペット税も払っていないのだ。

そしてタバコ税をチャッカリ受け取っているのにゴミ掃除を嫌い、感情的な嫌煙権に便乗してゴミ箱と灰皿を撤去し、代
わりに「禁煙」の看板を掲げて澄ましている身勝手な地方自治体が多くなった事は言語道断である。この場合のお役所
タバコ税を拒否するか、受け取ったならば何に流用しているのかをハッキリと情報公開すべきである。

職員数700名の某市のケースでは市民税と固定資産税とが各々50億円であり、煙草税が5億円入る。特に煙草税は毎
年安定収入となっている。怠慢で赤字体質の地方自治体を支えているのだ。更に国庫と地方交付税から43億円入る
ので、締めて148億円が転げ込む。職員1人当たりの売り上げは2000万円である。

其れでも彼らは「予算が足らない」と嘯く。しかもこれ等の使い道は総額表示だけで自由裁量、つまり予算の使い放題
であり枠も歯止めもない。使途についても詳細のない「藪の中」であり、何も公開しないのだから、私企業と同じであり、
結構な商売だ。

まぁ確かに愛煙家と言ってもマナー無視の不心得者がいます。喫煙者がポイ捨てで火事を起こしたり、雑踏で吸って他
人に不快な思いを掛ける以上、此れは問題になって当然です。特に健康が心配だと言う方々はフィルター付きの煙草
を吸っているが、此れは愛煙家とは言えない。フィルターを千切って吸って見れば、良い葉ではないと分かります。

安物の葉っぱを香料で誤魔化して割高に売っている訳だ。しかもフィルター付きは吸殻のゴミを増やす。両切りは自然
に戻るが、フィルター付きの吸殻はゴミの大部分を占めているのだから環境問題を言う資格がなくなります。ただこうし
た一部の不心得者だけを見て嫌煙家たちが余り神経過敏に反応しないほうが良いでしょう。

目くじら立てて拒否する気持ちは前述したように、医学迷信による弊害の一つであり、もしくは被害者意識の過剰反応
である。或いは其れに悪乗りして正義面する輩やエゴ人や偽善者も多い。だがこうした時代の風潮に乗っかって、これ
からも禁煙場所と禁煙車が増える事は確実でしょう。例えば最近の車には灰皿が無い。

高速道路のサービスエリアの自動販売機でタバコを売り、当然納税している時代であるのに、其れを無視して車のメー
カーは従来の備品を撤去したのである。その結果、火の付いたタバコを窓から捨てると言う馬鹿者が増えた。コストダ
ウンを図るメーカーのエゴと、自分の車の社内を汚したくないと思う馬鹿者との精神的レベルの一致である。

このようにお役所のエゴによって低レベルの横並びが広がった結果、不心得者を増やすだけですから皆が被害者とな
るだけで却って危ない。其れよりも、徴収した税金で彼らに特等席・愛煙家席を与え、優遇してやればどうか。それでは
嫌煙者側の腹の虫が治まらないかも知れないが、少しの我慢で社会的な寛容と公正が示されるでしょう。

嫌うよりも持ち上げてやれば喫煙者のマナーも向上しようし、世間をもっと明るくするのではないか。実際、譬え「タバコ
退治」出来たとしても、犬猫糞害、空き缶・ポイ捨て、スーパー・レジ袋、肉食、老人・子供虐待、など今の世間には「目く
じら」を立て、「退治したい」事が多すぎてやってられません。

「お役所退治」なども、タバコ退治よりもずっと有益ではないか。ただ気になるのは米国の生産量が横這いである事だ。
米国では消費量が減っているのに生産高が同じというのは輸出量が増えている訳だ。此れは米国製タバコの人気を
煽って第3世界にタバコを溢れさせる狙いに違いない。

ですから市職員や煙草組合の面々は、先のような低級な嫌煙運動に与するのではなくて此の際、寧ろ、高級な椅子と
灰皿を並べて是非、「愛煙にご協力を」の一大キャンペーンを張ってはどうですか(「愛煙家」を参照)。

◆けんお・・・・・・・
◆けんか・・・・・・・

現界と霊界・・・・・・・現界とはこの世、つまり浮世の事である。この世は物質界と現象界であり、其処で人は物に
触れて実体験をするように仕組まれているし、生涯を通じて何時かは喜怒哀楽を公平に味わえるよう設定されている。
此れを「生かされている」と認識できる人は幸せである。其れに無知な人も何時かは死んであの世へ旅立つ。

あの世はこの世と違って精神世界である。よって諸現象は多くとも実感がない世界である。そして此処は浮世の想念に
従って行き先が違う。つまりその人間性を厳しく査定され、差別される世界である。

浮世では物金主義で判断するので心が見えなかったが、アノ世ではモノカネがないから携帯電話がなくとも直ぐに心が
通じてしまうと言う便利だが怖い世界ともなる。従って霊界の掟に無知だった亡霊は此処に来て何度も失敗を重ね、途
方にくれて浮世の友達を頼って見ても無駄だ。携帯電話でも手紙でも浮世には届きません。

浮世と通信出来るのは一定の血筋と暦・方位でなければ許されないのです。従って私たち、浮世に生きる人は、亡者
の命日に彼のためになる、良い想念を送る。その想念の代物として供物という物質を奉げて弔って来たのです。此れ
を祭式と言う(「祭式」を参照)。

◆玄関・・・・・・玄関とは玄妙な世界への入り口と言う意味であり、寺院では仏の世界への関所である(「門」を参照)。

◆けんき・・・・・・・

元気・・・・・・・人は誰も子孫を守護する先祖たちの力で支えられている。其れを古来、「生かされている」と悟り、感
謝して来ました。所が其れに気づくのは残念ながら元気を失い、健康を損ね、或いは年をとってから初めて気づく。元
気な間は「元気なのは当たり前」と誰もが思い込んでいる訳です。

でもそうした思い込みは何の根拠もなく、実に脆い存在である事が、我を出して我武者羅に走ってどん底に落ちた後で
分かるのです。でも問題は、其の多くが「健康が一番」と分かるだけであり、其の場合は必ず医者に行く点です。それで
は表層的認識と処理であり、問題解決から遠くなる。

解決するには寧ろ墓参であり、或いは八方の先祖に気づいて感謝する事から元気を取り戻すのものです。下の「健康」
も参照の事。

◆健康・・・・・・・精神的にも肉体的にも正常で活動的な事。正常なのは血が清浄で綺麗な為です。血は科学や医学で
はなくて、自分の先祖が作るものです。よって元気も健康も「気」からであり、気は精神であり、精神は魂であり、魂は霊
的なものですから、先祖を意識する事で健康維持に大きく作用する。

健康管理・・・・・・・心身を清潔にする事。「祓い」を参照。だが今の日本はこうした真理を嫌う為に、健康について
様々な御利益噺が人気です。健康専門の雑誌やミノモンタ氏の番組が連日次々と色んな話をします。関西テレビの
「発掘!あるある大事典」で、「ダイエットには納豆が良い」と放送した結果、スーパーの店頭から納豆がなくなった。

07/1月に捏造だったとバレた。チョコも嘘、舞茸も嘘、豆乳も嘘だった。「捏造と1分100万円の金儲けの全て」(週間女
性07/2/13号)。さて昔から日本人は「病気は気から」と教えられて来たので気持を大切にした。所が今は無教養であ
る。学歴が有っても教育の無い人達ばかりとなった。気持ちを大切にせずに、物で何とかなると誤解している。

毎日日替わりメニューで健康維持できると誤信させるような知識・学歴教育ならないほうが良いのである。

健康とは・・・・・・・自然は完結しています。人間も自然の一部ですから完全なる存在です。特に心が清浄ならば正
常になり、肉体も正常に働くため健康でいられる。其れが完全性と言う事です(円系図を参照)。肉体には不自然なも
の、余計なものを入れない事。そうすれば自然が保たれて健康維持が出来ます。

本来の状態にして置くのが健康の秘訣です。特に薬(別項を参照)などは入れない事です。入れれば、折角自己治癒
力を発揮しようとしている所を妨害することになる。結論として、人に効く薬はこの世には存在しない(全て毒物であると
言った故・岡田茂吉翁)。

さて人は、五体満足で五臓六腑が健やかであれば「健康」と言う。また先人は「腹八分目に医者要らず」と言う諺を残し
た。食べすぎと寝不足は健康を害する原因です。従って無理をしなければ大抵は健康で過ごせる。そして時々は禊(別
項参照)をして心身を清める事が肝要です(「断食」を参照)。

どんなに医食同源に気をつけようとも、身の回りが不潔であっては感染症にも抵抗力がなくなるのです(「祓い」を参
照)。だが其れは肉体だけの話であって、其れよりも精神的に健全である事の方が大切です。どんなにお金持ちでも心
身が不健康では、譬えどんな高級料理を食べても美味しく有りませんし、自由に旅行に出るのもままなりません。

其の点、健康で生きている事は有り難く、そうした心身をご両親から頂いた人は感謝で一杯である筈です。所が多くの
場合、「健康なのは当たり前」と思っているので誰にも感謝なんかしない。誰でも「健康第一」と言う点では分かっている
から、無論それには反対はしない。

けれども其の健康は病気や怪我をして失った後で初めて気づき、分かるのが人間の常なのですね。快適さを追い、便
利な生活を当たり前の事として過ごしていれば、不便さを知らず、それでは感謝できない。其れが人間です。だから神
は、光や物にも満ち欠けのある事を教え、時には痛みや苦しみをも人に与える。

とすれば、其れを不平不満・不運とせず、寧ろ神に感謝する心がその人を救うのでしょう。所が多くの場合、特に今の
中年以上の人は「早期診断、早期治療」と言う教育を受けているので今更、意識転換出来ずに多くが病気を「健康を犯
す悪者」と見誤り、さらに「病気は死去に一歩近づく物」と恐れて仕舞うのです。

そうした誤解と強迫観念から医療制度を頼り、そのために保険に入り、医者や薬物に頼って病院に日参し、入院する
ために銭を貯めると言う悪循環の道を選ぶ。だが今の医学では多くの場合、誠に結構な病名を付けてくれるが、注射
打っても薬飲んでも効かない。第一、此れでは課題の本質から目を反らす事であり見当違いです。

折角の神の大愛からどんどん離れて悪循環と言う迷路で苦しむ事になるのです(医学」、「医方」、「元気」、「霊主体従
の理」、「患い」を参照)。

健康とは「何かが足りないから」と思って薬や栄養剤で補充すれば出来上がるものではなくて、不安になって「気」が枯
れるに従ってワズライを生み、不健康に変わる。涸れた所に必要な事は元の心、感謝の心を取り戻す事にあります。
心身に痛みのない事が健康なのではなくて、自他の痛みを知り、有り難いと思う事(センサーが正常に働く事)なのだ。

病症が出るのは健康維持のためのシグナル(センサーが正常に働く事)なのですから誤解してはいけない。折角セン
サーが働いているのに、其れを誤解・心配して医学や薬理で押し殺そうとしたり切除してしまえば健康から益々遠ざか
ってしまいますよ。







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