http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page056056.html(未定稿)


   日知り事典        オ〜大津

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
お● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ■▲◆★

●お・・・・・・・・「お」は「尾」であり、「あいうえお」の場合も頭ではなく尾に位置する。

老い・・・・・・・・老の字は「土ノヒ」と書く。此の漢字は、「土の上に示された日影を弧の上で比べる」事と解釈できる。
太陽の出入り角度は日々変化するが、毎年同じ轍として地面に示してくれる有り難い存在である。日影が天地の道理
であり、不変の法である事を永い体験から知るのが老人である。

若い者は理屈を言うが、太陽が何万年も不変の存在である事を認識しているのは永い人生経験を積んだ老人か賢者
か聖人しかいない。従って彼を経験豊かな先輩として老熟・老成と見て古来尊敬して来た。そうした時代は何時も安泰
であった。所が今は若者が幅を利かして老成を侮り、臭い汚い古いと誤解して排除する。

乳臭くて小便臭くて生臭いのは若僧の側であり、しかも未熟で危ないのが事実である。事実を誤解した彼らが幅を利か
せば此れからの時代を益々窮地に陥れるだろう。

お祝い・・・・・・・・いじめ、自殺、強盗、殺人・・・こうした負の面は、プラスの波動で押し流しましょう!
ここでは「お祝い」に関連した素敵なサイトばかりを集めました。
私たちの心に、もっと「祝福」の気持ちを! 
「お祝い情報」リンク集http://www.12ack89.com/Oiwai/5-0LinkTop01.html

・・・・・・・・数字の三は天・人・地の各々のレベルを示した字である。其れに縦棒を加えて天地を繋ぐ人、つまり王
とした。或いは王の字は土の上に横棒を一本付けた形であり、其の横線は天を意味した。大地に御柱を立てた字が土
の形であり、其れに天を付けて、一本の柱で天と地を繋ぐ人、つまり聖を指した文字が「王」である。

下記の「鬼」を参照。

(の字)・・・・・・大の字は、⊥と∧とを組み合わせた文字である。其れは一または亠(鍋蓋)と人とを組み合わせた
文字とも言える。何れにせよ、本来は太陽を意味し、取り分け、日影観測の玉串の祭りをリアルに示したものであっ
て、今のように物の「大きさ」を示す文字ではなかったと見なければならない。

序でながら、本来の本の字も、大の字の下にを加えた字であり、木にを付けた字ではなかった。大(太陽の祭りの
場)の中でも、+点は特に中心となる地点(定点)を示した。其れが本来の「本」の字であり、其れを「木」に−(横棒)を
付けたように教える今の解釈では本の意味を説明できない。

大日・大垣・大臣・大工が有って、小日・小垣・小臣・小工の言葉がないのはその理によるからであり、大場もまた同じ
(祭りの場)だった。従って大王と言う場合は、太陽を祭る王であるから皇帝(夜空を祭る)などより上位だった。また「大
祭」とか「大社」と言う場合も本来ならば、太陽による祭りの場を意味した。

所が、今では濫用、つまり太陽を祭らない偽の大社・大祭が多過ぎる。大寺・大乗仏教・大路・大阪・大学・大人なども
用語の原義からの脱線例であり、況や六大紙とか、アメリカン大リーグなどは極めて無意味な言葉だ。ただ例外とし
て、星の国では大を星と見た。のシンボルとして大の字のデザインを描いた例が古代エジプトの神殿にも見られる。

でも其れを日本語として翻訳したのでは堪らない。日本でも今は欧米(星の国)に隷属してしまったので、逆理が常識・
定説となったのでしょうからどうしようも有りません。

所で、天子や御子の外、シナでも孔子、孟子、など諸子百家は何故「大」ではなく、好んで「子」の字を付けたのか、と言
えば、此れは北側に位置して南の「大」、即ち太陽を「天子南面」で祭る聖の御子の立場を示したからだ。

▲大奥・・・・・・・江戸時代、江戸城に置かれた女庁で男子禁制。凡そ1000人の女性が仕えたキングメーカー。幕府は
大奥の為に幕府の1/4の経費を費やしていたが、家宣・家継の時代に江島事件を起こした。其の反省から大英院が次
期将軍として吉宗を選んだ(06/4/12NHK総合TVより引用)。


●大神・・・・・・・・大神は狼ではなく、太陽の祭り、即ち御柱・高木の祭りをして迎えられ、祭られる神である。大神があ
って小神がないのは其の意味からです。

★狼・・・・・・・・・かつて日本には日本狼がいたが近年になって絶滅した。1904年に大台山系で捕獲されたオスの成
獣の標本は県立自然博物館にある。東大農学部には1881年に岩手の業者から入手したメスの標本がある。国立科
学博物館の標本は明治時代の初期に福島県で捕獲したもの。


▲扇・・・・・・・オオギは天文観測に関係したものと推定できる。因みに佐竹氏の家紋は日の丸扇。風を起こす物に竹製
の扇子があり、京都中京区の誓願寺には扇塚があり、芸能上達の信仰がある。

●大王(オホキミ)・・・・・・・・大王と書いてオホキミと呼んだが、オオキミとは太陽の柱(大きな木ではない)を見た方で
あり、或いは「ミカド」とは日影の角度を見た方である(「御柱」、「玉串」を参照)。

今の日本人は王(キング)や大王(大君)は地方領主や諸侯と同格であり、従って皇帝(エンペラー)よりも格下であると
解釈する者が多いが、皇帝は星祭の武人であって実は王よりも格段に格下と見るべきである(神を参照)。

日本の天皇が2000年の歴史を刻んだのに対して例えば米国の大統領の初代(ワシントン)就任が1789年だから、た
った217年の歴史であり、格において「月とスッポン」である。

▲オーケストラ・・・・・・・・・交響管弦楽団。

オーケストラは「火の車」・・・・・・・・・交響管弦楽団。NHK教育TVでも演奏風景を見かける事が多いが、実に
退屈で見ていられない。スピード時代の今、ミュージアムまで態々出かけて聴きに行く幾許かの方々は余程奇特な方に
違いない。だからオーケストラは「火の車」になった。西洋音楽は芸術であり、楽団員は音楽家か芸術家である。

確かに技量もセンスもあるのだろうが、第九とかモーツアルトなど、西洋舶来趣味の彼らのクラシック趣味しか演奏しな
い為に、日本のお客は退屈になる。此処は日本であり、日本でやる以上は芸術よりもニーズである。オーケストラが赤
字であると泣くならば、彼らの芸術よりもカラオケの方が人気がある事実をもっと直視すべきだ。

カラオケスナックには公的助成はないのに対して、クラシック演奏が芸術と言っていれば単なる個人的な趣味に等しい
ラッパ吹きの労働サークルでも此れまでは自治体から年間何億もの助成があったし、企業からも寄付があった。「親
方、日の丸」と思って安住して此れまでは好きな事だけやり続けたのではないか。

普通の労働者であっても、いらない物や売れないものを作り続ければメーカーとしては不良在庫の山になる。そんな物
しか作れないなら、譬え芸術家でも労働者でも入れ替える必要がある。だから此れからは地域文化と溶け込み、愛さ
れる事が第一。

無味乾燥な南蛮渡来の西洋クラシックやジャズやオペラ曲よりも、日本に昔からある歌の雅楽は別として、例えば、わ
らべ歌、日本の歌、小学唱歌、軍歌、懐メロ、民謡・・・・など、幾らでも優れたものが有るではないか。堺屋太一氏は
「先ず世界に通用する楽団になれ、次に個人や企業がもっと自由に寄付し易い税制にし直す必要がある」と言う。

(07/1/17NHK総合TV「クローズアップ」より大半を引用)。

黄金比(黄金率)・・・・・・星型(5角形)・五旁星の対角線の長さの比は1:1.618である。此れはピタゴラスが発見した
と言われる(セーマンを参照)。このように古来、最も美しくかつ安定した形の建築や美術に使われて来た秘伝の寸法
比として黄金比(後述)と白銀比(別項参照)がある。

縦横比が前者は1:618、後者は1:1.4141であり、即ち1:√2の事であり、聖徳太子の時代から曲尺(別項を参照)の表
目と裏目に刻まれて来た。また生け花の生け方も三角の形の組み合わせであるが、其の三角は1:√2:1にする。

或いはコピー用紙のA2--A3--A4--A5--と言う寸法も縦横の長さが1:√の白銀比であり、A2以下を各々1/2比にした
もの、つまり半分に折れば縦横の関係は反転するが次の寸法(A2--A3)になる。西洋では黄金比、日本では主に白
銀比が使われた事が分かる(06/6/3のabcTVから引用)。

其の他、日本では「勾配」で延べた通り、ミヨイと言って各辺が3:4:5の比の長さの直角三角形、つまり「三平方の定
理」の形があり、角度は各々30、60、90度になる。此れで勾配を示すのが一番確実であるから、古来日本では勾玉
を使って来た。尺貫法では長さだけではなく、勾配も規定した。

例えば「尺当たり一分勾配」と言う場合は30cm先で3cmの勾配だから5.5度の角度である。鳥居などのコロビはこ
の角度であり、黄金分割比になっていた。

コロビは水平、または壇(囲の字形)に対する比率と見て、其の壇を仮に9cm刻みの方眼盤とすれば、9:0=90°、
9:1=83.5°、9:2=77°、9:3=71.3°、 9:4=66°、 9:5=61°、9:6=56.5°、9:7=52.5°、
9:8=48.5°、9:9=45°となる。

コロビとは5〜6度ではなく、9:6で「コロ比」であり、正確には9/55.6=1.618=ファイ、つまり最も「見良くて美し
い」黄金比となるのである(「転び」を参照)。因みに366円暦・尺貫法で言えば、尺当たり1分7厘3毛、八寸当たり一
分刻みであり、360度勾配で見れば、角度では0.98度になります。

此れが古来秘伝として職人や芸術家、或いは数学者に伝わっていた寸法比であり、此れによれば絵画や美術品は最
も安定した美しい形となり、また建物とすれば調和が取れた形(空間)になる。今ではギリシャ時代のユークリッド幾何
学の黄金比が有名であるが、それ以前の昔から日本には存在した。

其の寸法比は、縦横を1:1.618とした場合、最も安定した形になる。1.618はφ(ファイ)と言われる定数であり、
此れは1/ファイ=0.618となり、また0.618/φ=0.382となるなど、様々の形で計算式が成り立つものの数字
的には堂々巡りで謎となる難もある(「ファイ」、「白銀比」を参照)。

因みにDNAの二重螺旋の波の寸法比も此の黄金比である。そして黄金比1:1.616は略9:16の寸法比になる。此れは
パルテノン神殿や今の名刺のサイズに相似である。パルテノン神殿は「西洋美の原点」と讃えられた傑作であるが、其
の立面の寸法が黄金比である。外にも自然界にはヒマワリの花の種が螺旋に並んでいる。

或いはオウムガイや銀河の渦を上から見た形になる。此の螺旋は平面の1.616の寸法の面積の中に「1」の寸法を
加えた面積を作り、同じ手法で次々と行って並べて行けば等比級数的に中心点から螺旋形になって拡大する形です。
此れを黄金比螺旋と言う(以下も06/6/3のabcTVから引用した)。外に「ヴィーナス」も参照。


大阪の町・・・・・・・・大阪は人情の町と言われるものの、地勢的には実は昔は河内湖だったから「大阪八百八橋」と
言われるほど橋だらけで今も「水都」と言われるほど水臭い町であり、地理的には筋っぽい。東西に「○×通り」と南北
に「○×筋」が行き交い、昔は筋が約6m、通か゜約10m幅だった。今も各々26本と20本も行き交っている。

名の知れた筋では例えば、南北に四ツ橋筋、なにわ筋、御堂筋、堺筋、松屋町筋、天神橋筋、谷町筋・・・が走るのに
対して、東西に高麗橋通、道修町通、平野町通、瓦町通、備後町通、農人橋通、博労町通、南船場通・・・など有るが、
今は東西(通)よりも南北(筋)の方が広い。でも此れは人間ではなくて町の話。


大阪商人・・・・・・・・司馬遼太郎氏の「大阪商人」によれば、代表選手が近江系であり、「ずるくて、汚くて、天性、ソ
ロバンが脳細胞のひだの中にある」とし、此れに対抗する泉州人は、中国の浙江商人のように豪放なために、投機好
きで倒産率が高い。此れに比べると河内人は抜群のズルサを誇るが、身上が出来ると芸事に凝るようだ。

「好きになっても女に惚れるな」とは大阪商人の諺らしい。其れを守れないのが河内人であり、(中略)大和人について
は「問題にならない」と評価は低い。「近江泥棒に奈良養子」と言う言葉を紹介して、養子や番頭向きだと言う。近江人
や泉州人に使われて勤勉に店を守ると言うのだが・・・(05/9/25日の毎日より転載)。

大阪人・・・・・・・・大阪は経済の町を自負しているが昔は宗教の街でした。先ず石山本願寺があり、御堂があっ
たので、今でも御堂筋などの地名が残っています。こうした街はそんなに例がない。昔は金儲け第一ではなかったので
す(05/4/9日のNHK総合TVで五木寛之氏)。かつて「江戸には人口100万の内の50万人が武士層」だった。

だから町人は武士の気風に染まった。それに対して大坂の人口は30〜40万人のため武士は3%の1万人以下のた
め、大坂では武士が寧ろ町人の考え方に影響された。東西は正に両極端にあった(05/4/11日の毎日)と言う。大坂は
特に変化の町である。

此処は水の都と言われるように過去に何度か都となったし、秀吉の時には城下町として、また江戸徳川の世では経済
都市、そして幕末には適塾が出来るなど高い文化を育む町でした。幕末から明治に日本にやって来た外国人たちは一
様に日本人を褒めている。

例えば日本人は来客に対して実に丁寧な言葉や物腰であり、此れは世界一の教養と文化水準の高さであると評し、或
いは日本人は世界一子供を可愛がると驚いて書き残している。戦前に来日した朝鮮人もそうした日本に憧れて来た。
所が戦後に一変した。近現代には商業経済と金融から文化都市にはならずに非文化の工業化に変貌して失敗した。

今では「ドケチとド根性」が合言葉になってしまい、結局、町中ゴミの町にしたのだから惜しい。とは言っても実際はキッ
プが良いし、彼らが言うほど根性もないのが河内っ子だ。難波っ子も人情はあるが言葉が汚い。下品な言霊を乱発し
過ぎてドスケベになって無気力・無力な地方都市にしてしまった。

昔の大阪八十島、浪花八百八橋の時代は賑わった。大名が頭を下げるほど力があったし、もう少し上品な商人が活躍
した日本一の商圏だったと思うのですが惜しい限りです。そうした「浪花節」の人情と、ゆったりした「水都」時代には、
大阪浪花のどじょう汁が名物だったが、今は、万博を最後に「地盤沈下」が止まらない。

ドスケベ自慢の只のゴミの溢れる貧乏町になった。此れでは仮に「地方分権」を叫んでも何も出来はしない。そうしたの
も漫才ブームだろう。此れで関西弁に一時人気が出て、府知事選でも漫才師のエロガッパ・横山ノックを何度も圧勝さ
せたが、大阪の色を彼は破廉恥に塗り潰して結局、「浪花の人情」の恩義をアダで返した。

其れにも懲りずに今も庶民は「たこ焼き、漫才」を自慢し、ゴテゴテ、ケチケチ、ど厚かましさを自認するローカル色の
宣伝に努めているが、これはやればやるほど恥ずかしい。だから一流企業は全部大阪から逃げ出した。此処数年間
に大阪から出て行った人も15万人に達する。

此れも全国一である(数字は05/12/9日のNHK総合TV)。下品で口やかましいだけで何の取り柄もない大阪が嫌わ
れ、見限られて当然です。大阪人が自らの心の貧しさに気づいて心の浄化をしなければ町も綺麗にならないし、今ある
物も生かせないだろう。

海外の旅行ガイドや英米の検索サイトでは「大阪はヤクザの町」「街は醜いのに愛されたがっている」と酷評だと言う
(06/1/29朝日新聞)。

大阪名物「食い道楽」も有るにはあるが、市役所だけが「役人天国」になっていた。今はそんな大阪だが昔は良かっ
た。「大大阪」と言う関市長の頃ではなくて江戸時代以前である。大和の国の中心は近畿圏であり、二千有余年の歴史
は曲がりなりにも関西で綴られて来た事実もある。

しかし途中から鎌倉、そして江戸時代と武家の世が続いて関東に首府が遷った。以来、東西の特色は東武:西商とな
った。其れでも尚、関西が今も「上方」と言う意識でいるが、これはもう関東にも全国にも通用しない。都は既に天皇陛
下と共に東京に遷って、交通機関も上下が東京を基点としているのです。

所が何時までも大阪は「経済力なら負けない」と思い込み、「東西が半々」の実力と信じて来たが此れは負け惜しみで
ある。例えば関西の占める市場は大阪万博をピークに急落して既に全国の1〜2割程度に落ちている。全国と大阪圏
の1935年と01年との対比では全国シェアが17%から6%にダウンした。

資金の流れの目安となる手形交換高も35%から数%にダウンした。ですから全国的に見ても大阪人は基本的に相手
にされず信用もされずに益々東京一極集中化を招いた。このように今の大阪はすっかり零落した。大阪が此処まで落
ちこんだのは吉本興業に振り回されて視点が低くなり、しかも自己本位のため「井の中の蛙」になっているからだ。

例えば東が危機意識と真剣さで関西人と対峙しても、西側からは返答が無い。何を言っても無反応。「考える」と言う事
は日本人らしく素晴らしい美点であるし、慎重であるのも銀行員であれば要件であるものの、スピード時代の現代では
嫌われる。少なくとも意気に感じる所がないといけない。

「賛成する。協力しよう」と言う返事が先であり、ソロバンを弾くのは其の後でも出来るのだから、返事が遅いと言うのが
一番拙い。其れでは大和オノコの癇に障って仲間ハズレにされる。だから地盤沈下が止まらない。其れに大阪人は関
西弁を「売り」に使って、此れが人気と勘違いしているが、其れで信頼されたり信用されたりするものではない。

話が旨くても、ハッキリしない言葉は一番敬遠される。ローカル関西の中では通用するとしても、全国の中では関西弁
(同項を参照)は特に男言葉としては嫌われる。大阪の人はシナ人のようにしなやかで口先だけは達者だが意思がハ
ッキリしないし自分で言うほどの実力もない。ドギツイ言葉も下品です。

隣人たちと横並びで競争はするが、一人で立ち上がるだけの意気地もない。と見られて当然です。其れに比べると昔
の大阪商人は信用第一とし、旦那として大人の自覚があり言葉にも品があった。何しろ全国の大名に金を貸すだけ
の、大店(だな)としての実力があった。

それから見れば、今の大阪のオバハンも口やかましいだけで法律にはルーズ、オッサンも借金を平気で踏み倒す。其
れに「ひき逃げ」も全国一です。其の動機がまた情けない事に、損得勘定なのだ。正義感とか責任感、罪悪感よりも全
国一、「捕まったら損だ」とするソロバン感覚が強い結果、逃げたと言うのです。

此れが働き盛りの20〜40歳に多いのですから油断できない。親が駄目でも子供は別なら兎も角、親が駄目なら普通
は子供は更に不良化するものだ。だから大阪に未来は無い。若者もひったくりを多発させるなど、全国規模でのワース
トワンばかりが目立つ。そうさせたのはお役人だ。

例えば04/12月、大阪市は職員の共済保険金100億円を税金から払っていた。のみならずカラ出張カラ残業など、市民
の不景気をよそに闇給与と闇手当て・闇退職金でやりたい放題にあったのが発覚して全国に醜態を晒した。

続いて12/19日には大阪市が職員のために民間の年金保険に11年間に304億円も補助していた事がニュースとなっ
た。其れまで市の進めた第三セクターが赤字垂れ流しの上、誰も責任を取らない中で、給与の二重取りをされては市
民が如何に税金を払っても「ザルに水」だった。

阪神大震災後の不況の中、商人たちもその他大勢の府・市民も、喘ぎながらも泣き泣き浪花の復活を目指して頑張っ
たかも知れないが、その苦しみをよそにして何時の間にか府や市のお役人だけが腹を肥やし「役人天国」を謳歌してい
た。呆れたモラルハザードですが市民は気にしない。

「大阪市は税金まで食い倒れ」と朝日新聞が報じたが、其れに共鳴して「市役所は大阪府から出て行け」と怒り出す府
市民も少ない。民間では残業したって手当てが出ない中、市職員は残業しなくても不当な手当てがお手盛りされていた
とは「聞いて呆れる」が、市労連は開き直っていた。

本来なら横領罪で全部懲戒免職が当たり前だろうが、市労連は自らの不正を理解出来ないのか全国に「盗人猛々し
い」醜態を見せた。こうした市労連のエゴを見ると、「好きゃねん、大阪」のキャッチフレーズも偽善的で空しく聞こえま
す。だが浪花っ子は寛容だ。

abcTV(ムーブ)は05/3/29日、「大阪市は横浜市より人口が少ないのに横浜市の二倍の市職員(3.7〜8万人)がい
るのが問題」としていた。続いて3/31日には、公務員は警察も市職員もお互いが不正をしているので取り締る所がない
(自浄能力の欠落)と報じた。本当に歯がゆい。

今回は詐欺(公金詐取)であるから懲戒解雇にすべきであろうが、「13%の職員を処分した」と済ましているのは甘過
ぎる、と言う。何れも明解なご指摘です。役人ではなくて「悪人」だったのだから。しかし大阪府庁も負けてはいない。此
処はもう06/2月のニュースでは5兆円を超えた赤字団体。

ですから破産状態ですが府民の金ですから気前良く散財と浪費を続ける。だから第三セクターの一つ、臨空タワービ
ルも数百億の赤字で05/4/1日に倒産した。大阪市の場合も負けずに2.8兆円だ。其処で「非常事態宣言」を出してい
るのに、肝心の内部がこの「血税・食い道楽」である。

議会も負けずに5.6億円もの血税を政務調査費と言う名目でネコババしていた(05/5/17日のabcTV)。お互いがグ
ルの食い道楽にした。住民は言われた通り黙って納税して来たのだから責任はないが、責任は議会や管理者がだら
だらと赤字を増やす余剰人員をカットしないからである。

よって府内の役所は何処も犯罪者集団の悪人役場となっています。06/10/6の朝日は「人権金融公社に府市が200年
ローンで70〜100億円融資の便宜」と報じた。しかも無利子。世間の常識なら10年が限度だが69年から以後200年のロ
ーンとした。破格の扱いである。財団は公益性を言うが部落開放にどれだけ寄与したのか。

実体は藪の中だ(同和系サラ金業者が使っている)。だから暴力金融に府も府警も甘くなり放任する。此の為、多重債
務者、破産宣告、自殺者増大の原因を作っている以上、破格の融資が「公益性」と言えるのか。普通は此れを背任・反
社会性と言うのだ。苦しい中から無理して納税しても、府市民は自動的に「社会悪」の共犯関係者にされている。

先に金融庁は一般企業を見捨てて銀行優遇の巨額公的資金を出した。銀行取引でも庶民を厳しく取り締まり出した。
しかし府市と同和のこうした巧妙なカラクリやマネーロンダリングを先ず何とかしなければ逆様であり逆差別ではないの
か。

だが大阪人はラテン系に似た楽天的な面があるし、市役所を食い物にされても自分の損得と関係ないならホッテオケ
と言う風土性だ(次項を参照)。「恋の町・大阪」と言う歌謡曲は嘘になった。もう「ゴミの町・大阪」でしかないのだ。

もう「こんな大阪大嫌い!」と市に巣食うダニや蛆虫を切って捨て、悪い膿を出して、市役所を市民に取り戻す知恵と気
概が欲しい所だが其の意欲さえ萎えている。其処でもう大阪を見放したい所だが、其の前に歴史に学べば大阪の底力
は元々じっくり考え、良いものを残す生き方があったと気づく。

物事に拘らずに融通性が有り、センスは兎も角、機転が利く。困難に対して頑張る辛抱強さはないが先の先まで考え
て工夫し、独創的なアイディアを次々出して来た実績がある。だから大阪には地域に根付いた知恵や独特の文化が培
われて来た。

バランス感覚と商品感度が良く、現実的・打算的・実利実益主義で、かなり厚かましい面もあるがお節介で、口先上手
で暮らしも派手で「食い道楽」で憎めない人たちが多い。日ごろはセカセカ、アクセクしてイラチ(苛立って)で暮らしなが
ら、反面では「金は天下の回り物」と心得ていて「人生に三度、其れが廻って来ると楽観的だ。

其のうち一回でも掴めば後は楽々」と気長にチャンスを待つ余裕もあります。所で大阪は昔から水都と言う。だから大
阪の人は視点も川の水のように低いのがお好きなようだ。粘りや根性よりも食い物でも水のような薄口が「好きやね
ん」となるのだろうが、「たこ焼き・漫才」だけに期待を懸けて「好きゃねん、大阪」と言っていても何の効果もなかろう。

此のままでは譬え「地方分権」と言っても何も出来はしない。これからは九チャンではないが、もっと上を向いて歩こう。
そして「日本が駄目だ」とボヤクなら大阪だけでも持ち前の知恵を出して、どうしようもなくなった日本の負担を軽くする
ために、駄目な大阪が先ず日本から離れて「独立してやって見よう」ではないか。

大阪市役所・・・・・・・・京都市役所も06年は同和関係の不祥事続発のため、「税金で犯人を雇っているようなもの」
と市民の顰蹙を浴びたが、大阪市も06/8/29には同和不正職員105人を処分した(上記の「大阪人」及び同和を参照)。
但し運が悪い者だけである。岐阜県庁では職員たちが組織ぐるみで17億円もの裏金を作っていたのが暴露した。

此の為9/29日に助役など2人が引責辞任し、県民が20年前に遡って返還請求を始めた。其れに比べて大阪市職員は
普通なら共同謀議による背任・横領・着服であろうが、何処までも特別で例外だから「注意」だけで「取り得」であっても
良いと言うのだろうか。此れでは大阪のモラルが低下の一途となろう。納税・選挙民は反乱を起こす気もないのか。

夕張市は箱物を作って630億円の赤字で破産状態であるが、大阪市は3兆円の赤字ですから「次は大阪市」と心配して
いる。其れに続くのが例えば泉佐野市の760億円、岬町の12億円(此の部分は06/12/13読売テレビから引用)。

大阪独立(バーチャル)試案・・・・・・・・安定的な経済政策は国民所得に応じて年率略3%の金利を設定し、其れを
多少上回る程度の成長率と其れに見合う程度に通貨のインフレを許容する事なのでしょうが、現在はデフレスパイラル
の中、税金や公共料金だけが高値安定の時代としています。

デフレならば物よりも通貨の価値の方が大きい筈なのですが実態はどうか。実態はもっと低いと思える。通貨には裏付
けがあるもので例えばドルは金から石油に変えた。プラザ合意頃からすり替えが行われた筈です。とは言えボロと言わ
れるドルであっても其の裏付けとして金9000トンほど米国は溜め込んでいる。

それに対して日本には390トンの裏付けしかない。しかも円は1000兆円も債務があるのですから裏付けとしてはマイ
ナスです。こんな円に信を置いて暮らすよりも、下記の蜂蜜林檎氏の(なにわ新円)を基軸通貨とした方が安全安心で
あると思う。

ただ大阪人が其れをする意欲があるかどうかがもっと問題ですが・・・・其処で原資として一人一万円づつ拠出して光岡
方式をスタートし、それで介護事業を賄う。足りないならば関所を作って通行料を取れば良い。府民の老後を此れで何
の心配もないようにして行くならば、かなりの賛同が得られるのではないか。

日本政府は国民から税金や国債や郵貯を全て米国に貢方式になっていた。更にシナへのODAに浪費し、或いはイラ
ク派遣や次の中東戦争に自衛隊を送り込んで日本全体を危機に巻き込む心配がある。そんな事に円が使われるなら
「なにわ新円」を基軸として老後を託すほうがずっと安心していられると思うのですよ(05/4/18鬼)。

収支計画についてはチャンネル桜  http://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?ID=142827&GENRE=sougou

どんな国でもビジョンがなくては意味がない(「国家の存立意義」を参照)。其の点では戦後の日本は政教分離を掲
げた。

其れで多くがアメリカのような「自由」を得られると思ったからだが見事に失敗した以上、これからは米国式自由よりも、
ご苦労を掛けた父母や先輩諸氏を死ぬまで面倒見ると共に、死後も弔いと祭りを約束する国家である事が求められ
る。日本は毎日祭りをして一万年平和を維持した実績がある。

其れに比べてシナは現物主義であり、諸外国は、毎日戦争して戦争経済の米国に行き着いたのです。米国は当初は
自由を標榜した。しかし今は凡そ2000兆円の財政赤字を抱えて他国を脅かす自由のない軍事大国になった。そんな
米国に日本は身売りした以上、自民党政権の存立意味はなくなった。

政府は国民を疲弊させながら増税と金融操作でかき集めた金を米国に貢ぎ続ける体質であった。シナでは反日デモが
広がり、日本列島も東西南北と各地で激震が続いている以上、天命が変わったと見るしかないだろう。無論、どんな国
を選ぶかは府民や国民の意思であるから、「老人天国」にするか、或いは「女天国」でも構わない。

大和撫子と言われたような良い女を育てたり、美女を集めれば関所税を払ってもドンドン国境を出入りするだろう。兎も
角、今の大阪では皆が素通りするだけである(「お役所解体論」を参照)。
05/6/10日、首都機能をバックアップする「危機管理都市」を関西にする構想が公式に決まった。

▲大潮・・・・・別紙の「月読み」を参照。

大島紬・・・・・・繭や真綿から手で紡いだ紡ぎ糸で織った絹布。紬(つむぎ)には奄美大島の大島、常陸の結城、八
丈島の黄八丈等があるが、大島の場合は1300年前に朝廷に納めた記録がある。此れは当地に自生する車輪梅(テ
ーチ木)で染めたもので当時は褐色だったが、偶然に泥に浸かり、灰色に変色した事から今の紬となった。

往生・・・・・・・人の死に際と「死」を言う。この浮世を去って死に逝く先はあの世(極楽浄土)であり、つまり「あの世へ
行って魂として再び生きる」と信じて「往生」(往生安楽)と言う。此れは決して偶然ではなくて特定の場所と特定の日時
がポイントとなる。しかも其処までの過程は人により個別の個性を持ち、様々となる。

其れまでの人生を上手に幕引きして、恰も「発つ鳥、跡を濁さず」の如く去って逝く人とか、お世話になった方にお別れ
の挨拶をして去って逝く人もかつてはあったが、今は殆どが病院で苦しみ、苦しみを土産に立ち去ります。或いは何と
なく死んでしまう人も多い。

中には「充分にやった」と言う達成感で去り、或いは家族に看取られて満足して息を引き取る。或いは「何かをやり残し
た」と言う寂しさや心残りを持って往生して逝きます。

王政復古の真実・・・・・・徳川慶喜は、日本がイギリスのような国になるべきだと言っていた。其処で彼は、対外関
係と国内平和への努力として新政府を立てる前提としての構想の中で、王政復古があったのだが、結果は逆転する。
王政復古から25日目、鳥羽伏見の戦いになってしまった。

幕府軍が執拗な薩摩藩の挑発に乗って慶応四年1/2の鳥羽伏見の戦いとなり、「錦の御旗」を事も有ろうか薩摩軍
が掲げ、幕府の官軍は朝敵・賊軍の側に立たされた。此れによって形勢逆転となった。偽りの勅命により、賊軍が官軍
になったのは、薩摩藩の大久保と岩倉具視の策謀によりすり替えられたのである。王政復古から27日目だった。

徳川を完全に排除して薩長がそれに取って代わるための、道理もへちまもない、「勝てば官軍」が此処に仕立て上げら
れた。この間、福井藩主・松平春嶽の内戦抑止の働きがあった。彼は「明治」の元号の命名者である(NHK総合TV、0
4/11/10「其の時、歴史が動いた」より引用)。


◆大津・錦織宮跡・・・・・天智天皇、または弘文天皇時代の宮跡と推定される所である。正殿跡の柱穴の芯々の間隔
は、2470と2620mmがあり、この平均値は2545mmであり、また其の1.3倍に当たる3300mmの例も見られ
る。とすれば、此れは11尺であり、即ち当時の尺貫法の長さは、今と同一だった事になる。


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